自己紹介とnoteを書こうと思った経緯

こんにちは、mie(ハンドルネームです)と申します。
現在、インドネシアのジャカルタに在住しており(3年半目に突入)、この先も海外生活が長いであろうという状況です。


私はSNSが苦手なタイプでして、これまでFacebookについてはやったことがあったものの、色々な人と友達になりすぎて、その軽いアクションの動きにあまりついていけず、メインのアカウントは断念。

インスタも、Twitterのアカウントも放置気味。。という感じでして、基本クイックについていくSNSが苦手です。
Facebookで特定の目的のために作ったアカウントを、なんとか無理なく使えているところで収まっています。

そんな私が一つのメディアであるnoteを書こうと思ったのは、この6~7年、自分の人生の価値観が根こそぎひっくり返るようなことが沢山あり、健康も取り戻し、人生の生き方がかなり変わったんです。

辛い人生経験があり、それをどうにか乗り越えたくひたすら学び続けました。
そして新しい生き方や世界の発見をし、色々なことを網羅しまくった!と少しは思える感じがあり、そろそろこんなに色々経験した私だから、これは伝える必要があるのではないか?と思うことが増えてきて、アウトプットしたいと思っていたところ、その手軽な発信方法として自分のペースで気軽にできるnoteがいいのではないかと思い、始めることにしました。

なんせ、SNSの継続は難しく、何かをコンスタントに安定的に行うことが難しいタイプのため、どれだけ続くのか、どんな頻度で書けるのかはわからないのですが、とりあえずトライ!です。

将来の色々な展望もあるので、その一歩としての自己開示でもあり、このnoteがどこかで何かのつなぎになるといいなという思いもあります。
お蔵入りにならないことを願うばかりです。。

さて、私の人生の自己紹介を少し色々な角度からお話してみます。
角度がありすぎて、話が多岐に渡るかもしれません。

幼い頃から持病でアトピー性皮膚炎を患っていました。小さい頃は、薬を塗って治していたため見た目にはわからないことも多く、あまり深刻に考えることもありませんでしたが、高校生の時にその合併症で白内障と網膜剥離になり、右目の視力の一部を失う、両目共手術、といったことが起きました。その事実を知った瞬間はびっくりしすぎて大泣きしていましたが、それでもなぜかあまり深刻に考えてはいませんでした。今でもその部分の視力がありません。

大学生になり、親元を離れ、今まで親元で何とかなっていたアトピーがありえないほどに悪化することが起こり、自分の体が辛いことに直面し始める時期が来ます。

薬を使っていたので、いい時は全く問題ないのですがひどくなると手に負えずゾンビのような見た目になってしまうこともあり、そんなことを、大学~つい6~7年くらい前まで繰り返していました。

本当に辛かったですね。青年期の真っ盛り。私も、当時は古着が大好きで、「イケてる自分でいたい女子」の一人でしたから、肌が悪化したときには外出したくなさすぎて、ひどい自己嫌悪でしたね。

薬の弊害で虚弱気味でもあったため、周りにいるお友達がどうしてオールしても次の日平気でいられるのか、どうしてファンデーションを塗れるのか、当時は本当に疑問でしたが、自分の辛さは閉じ込めて、自分のできる範囲で、友達と好き勝手に遊んで、オールをして、お酒も飲んで、イケてる自分を楽しんで!とまあ大学生活を堪能していました。楽しかったのは楽しかったです。

そんな病的背景がありながら、小学校の頃から成績優秀で(←謙遜なし)、学級委員や児童会を務めることも多く、面白いキャラでもあったので、クラスの中心にいることが多かったんです。

中学生や高校生になってもその立ち位置はあまり変わらず、基本、行事の中心人物になることが多く、クラスを引っ張っていくこともよくしていました。

なぜか勉強をさぼりがちな不良グループの男子たちとも仲良くできる性質があり、そういう意味で、私の席の隣に不良の子を配置して、あとよろしく、みたいなセッティングもありましたね。

また自分の興味として、高校生の頃に帰国子女や留学生と生活を共にする英語に特化したクラスに3年間所属しました。海外や語学といったことへの関わりもここからすでに始まっていたのだと思います。

大学では、高校で第二外国語として学習していたフランス語を専攻してせっせと学習に励み、大学2年生の時にフランスのリヨンに半年留学。

社会人になり、一度はやってみたかったWEBデザインの世界に入ったものの激務での体調不良とPC漬けの生活が合わず、その後海外への興味を捨てきれず会社を辞めてカナダへ留学しました。

帰国後は、英語に特化したお仕事で、社内の専門通訳や翻訳を行い、最後は非常勤で働ける英語講師に転身しました。この頃に結婚もしました。

2016年頃、ハワイの、しかも未知なるハワイ島!にふら~っとお遊びがてら(←夫よ、すまん。。感謝しています)一か月滞在して、ハワイ島のサバイバル的な雰囲気を堪能し、その少し後に、左目だけ進んだ白内障の手術をし、2017年インドネシアのジャカルタに夫の転勤で住みはじめ、コロナ禍では一時期日本へ帰国していたものの、出産を経て、現在またジャカルタに戻りジャカルタで生活をしています。

右目も白内障がだいぶ進んでいますが、まだ手術はしていません。
両目共、高齢のおばあちゃん並みの経験値だと思います(笑)


病的な背景がありながら、周りからはとても自由な人生を送っていて華やかで悩みなんてなさそうだね、なんて言われることもある自分でした。
そう言われると内心は少し傷つきましたよね。

こうして歴史をふりかえってみても、本当にでこぼこ野郎というか、いびつな自分だなと今でも思います。

そのいびつさ、特に、裏で抱えている病的でどろどろした自分に対する自己嫌悪が激しく、そして身体的にも辛かった。

でも、表向きは面白くて自由気ままで、好き勝手暮らしているようなイメージ。

だからこそなのか、今でもですが、自己開示をすることがとても怖い。
あまりにでこぼこすぎて人にどう思われるかがものすごく怖く思えるんです。

そして、長年自分が自分に抱いていた自分像が、あまりにも本物とかけ離れていることも知り、自分自身が「世間の常識」から外れているのかも、という事も知り、それを認めるまでにもとても時間がかかりました。

ただそんな道を歩んできた自分を今では少し客観的に見れるようにはなりました。それはその時期をある意味少し乗り越えたからなんだと思います。

それが今回のアウトプットしていこうかな、につながっているんだと思います。

そんな私がどんなことを綴っていくのか、色々なテーマで語り掛けることがあると思います。
海外生活、外から見た日本のこと、海外の人のこと、語学、アトピー、不妊、健康、海外子育て、子供を子供らしく育てること、自分も自分らしく生きること、「本当の自分に目覚める」ためのコンシャスフル心理学®(コンシャスペアレンツジャパン代表たかもりくみこさんに師事)のこと等々。

途中で方向性が変わることもあるかもしれません。今後の展開はわかりませんが。

興味ある方は是非色々な角度から楽しんでください!

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