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まだ教室にいる気がする私や誰か


 ネットでできた友人たちと、気が向いたら話して、時たま会って騒ぐ。どこにいてもスマホで話しかける相手がいるって、凄いな。

 集団の中にいると、自分の自信の無さがまざまざと現れる。稚魚が、大魚の群れに紛れて泳いでいるような気分だ。私が認識している皆と同じくらい、私も自分に自分を主張できればいいんだけど・・・。
 自分をしょうもない人間だと思っていれば間違いないという、固定概念が崩せない。長らく望まぬ集団の中でもまれて来た結果だろう。本当に、本当に、学校向いてなかったなあ。

 もし、中身だけ小学生に戻ったら、私はランドセルを捨ててすたこら逃げていくと思う。何よりも私の気持ちを大事にして、自分が決めた「学校には行かない」を守って誰の強制も受け入れないだろう。勉強?いいんですよ、私もう高卒済みで、大学にもいったんで。このまま元に戻らなくても、時が来たら高卒認定とって働きますから。飯だけください。

 いわゆる普通の学校に通うことが当然じゃなくなっているようだ。今23歳の私が子供の頃は、不登校と呼ばれる生徒は1学年に1人いるかいないか。それが今はひとクラスに2,3人はいるらしい。風の噂だから確かじゃないけど、とにかく増えているとのこと。
 もう「不登校」という言い方を失くそうじゃないか。というか、普通の学校に行かない生徒を呼ぶことなんて無くていいじゃないか。義務教育にもっと選択肢があるべきじゃないか。集団に揉まれて強くなる子もそりゃいるだろうが、取り返しのつかない心の癖がついて人生から安心が取り上げられる子もいるんだ。

 子供本人に、当たり前を覆す決断力は無いだろう。私は学校を休んでいても休まなくても、物凄くストレスがあった。結局、周りの大人次第。そのためには、その大人が自ら培ってきた価値観を覆す必要があるだろう。ああ、難しくなってきた。今の私にはこれが精いっぱい!

 ひとつ、確かなこと言うと、子どもの頃受けたストレスは一生の傷になるということ。真面目なことを書いてしまった。慣れないことしたらお茶をこぼしたよ。ベージュのTシャツに、麦茶を。とにかく、健全な心で人と付き合いたいよね。

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