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心の奥にしまっていた"寂しい"の気持ち


V6が26年間の活動を完結した日、メンバーの1人が"寂しい"という言葉を使ったメッセージをくれた。


思えば、解散した日だけでなく、そこに至るまでの日々の中で幾度となく「寂しいよね」「泣きたい人は我慢しないでいいよ」と伝えてくれていたん。
だけど、そんなに何度も伝えてもらっていても、自分の中の寂しいの感情と言葉が一致したのは11月1日を過ぎてからだった。


まず、解散発表から9月くらいまでの私は、"悲しい"と"辛い"と"怖い"の感情があまりにも大きくて、その3つの感情にの根っこにある"寂しい"にまったく気がつけなかった。

CDやグッズを買っても開封できずに部屋の隅で眠らせていたし、特典映像なんかも全然見られない。スマホの中に入ってる大好きな曲たちも聴けず、出演するテレビ番組もほとんど見られないまま時だけが過ぎてゆく。


見たら、終わってしまう気がして怖かった。
そう思うたびに悲しくて、いっそ新しいアイドル応援したいのにできなくて辛い。



ところが、いよいよ解散が目の前に迫ってきた10月、その感情に変化がおきた。
コンサートに参加するためにようやく開封した「STEP」というアルバムが、めちゃくちゃ愛に溢れていることに気がついたのだ。

それに気がついてから彼らが出演する番組を見ていると、彼らが見ているのはファンなのだとわかるようになった。
26年間頑張った自分達に浸るのではなく、残されるファン達が少しでも心穏やかにいられるように、前を向いていけるようにとメンバーそれぞれが考えてくれていることが、一緒に歩んできたことへの感謝の意が伝わってくる。

寂しさが少しでも減るように、心を砕いてくれる。
「寂しかったら、泣いてもいいよ」と言ってくれる人がいる。
誠意のこもった愛が、包み込むような優しさが、手元に届く。

丁寧に、真摯に贈られる愛と優しさを両手でキャッチしてようやく、私はこの愛を受け取れなくなることが寂しいのだと気づいた。


そして、その寂しさは私がまだ10代だった頃に亡くなった姉への気持ちとよく似ていた。

姉が亡くなった日も、私は自分の感情が整理できなかった。
涙は出るんだけど、その涙の理由がぐちゃぐちゃに入り混じっていて、どうして泣いているのかわからない。悲しいのか、怒っているのか、悔しいのか、もしかしたら嬉しい気持ちもあるのかもしれない。
自分のことなのに全然わからなくて、わからないまま心の片隅で埃をかぶっていた感情は、質や大きさは違うけれど、紛れもなく"寂しい"だった。



姉がいろんなことを1人で抱えて死んでしまったことが悔しかった。
姉の寂しさに気がつけなかったことが虚しかった。
姉といる時の苦しさがなくなることにホッとした。

そういう気持ちがなかったわけではない。
でも、あの時の涙は姉ともう2度と会えないことが寂しさからくるものだったと今ならわかる。



私にとって寂しいは、気恥ずかしい感情だった。
小さい頃は、後ろ姿や仕草だけでこの子は寂しいのだなと伝えることができたけど、大人になるにつれて言葉にしなければ伝わらなくなって、でもそれはなんだか気恥ずかしくて、伝えても後回しにされがちだったから悲しみや怒りで上塗りして、誤魔化して、気づかないふりをして、そのままわからなくなってしまった感情。


その寂しいという感情を見つめ直す機会をくれたのは、V6だ。
寂しくてもいいよ、と受け止めてくれる人がいるから、寂しいと泣くことができる。

失う怖さを乗り越える、力をくれる。


「俺たち死ぬわけじゃねえから」
と井ノ原君が言っていたように、彼らはこれからも生きている。生きて、私たちの前に立ち続けてくれる。

6人で並ぶ姿が見られないことは寂しいけれど、受け取った愛に答えられるファンでいたい。






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