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「多文化共生」について思うこと

新潟県国際課から委託を受け、新潟県国際交流協会で勤務し始めて半年が経ちました。まだまだ勉強中ではありますが、多文化共生を実現するために解決すべき点で、自らが考えていることについて書き綴ります。

多文化共生というと、国際交流とか日本語教育を含めて外国人支援などの取組を想像される方が多い印象があります。実際に、多文化共生に取り組む方々もそのようなことに主に取り組まれています。

例えば、ベトナムや中国の方々と交流するために旧正月のイベントを企画したり、災害時に外国人を支援するためにはどうしたらいいのかという講座を開催したりするながあります。

着任して間もないころに「外国人を支援するというよりも、外国人が活躍することに貢献したい」という趣旨の話をすると、多文化共生界隈のお偉いさんが「お前は何もわかっていない、全体を見ろ。海外の農村で貧しい生活をしていた女性で、日本人男性に嫁いできた人たちは生活に苦しんでいる。」と言う感じで、支援をすることが大事なんだと言われました。実際、そういう人たちもいるので、無視をするわけにはいきません。

ただし、自分が3年間の任期で何を実現したいのかと考えていくと、支援ではないような気がしていました。多文化共生とはまったく関係のない分野で仕事をしていたこと、そして自分自身も海外生活が長くて海外でも日本でも困った経験があることからも、一般的に考えられていることとはまた異なる観点から考える必要があると思いました。

多文化共生とは何か(自分の経験も踏まえて)

そもそも多文化共生とは、簡単にいうと日本人・外国人に関係なく、自分に本来できることができるように状態にすることだと思っています。例えば、災害時に外国人だから肉体的に、あるいは道徳・宗教的に人を助けられないということはないので、本来持っている能力なら率先して避難を呼びかけたり、高齢者を助けたりすることができるのですが、現状は災害時の日本語が理解できないとか、災害時にどうしたらいいかわからないなどの理由で外国人は支援される対象になっています。例えば、技能実習生の多くは30代以下なので、その若さを活かして本来であれば周りの人たちのためにも貢献することができるのです。技能実習生だから人の心がなくて人の嫌がることをするなんてことはありません。

「嫌なら国に帰ればいい」
そういう意見もあります。これは日本だけではありません。個人的な経験談ですが、海外に住んでいて何度も何度もこの言葉を言われました。現地の人ではなく日本人に生まれたことで、このような扱いを受けることに悔しさなのか、自己嫌悪なのか、少なくともいい思いはしませんでした。ただでさえ、生活でわからないことがいっぱいあって、語学力も当時は上手だとは言えない程度だったので、色々と支障がありました。でも、そんなときに外国人留学生のための英語の授業が(学校の単位として認定される)あって、そこから英語を学ぶだけではなく生活に必要な知識や情報、風習の違いなどについて学ぶことができました。そういう制度があって助けられたのも事実です(ですが、三年の任期で自分が注力してやるべきことだとは今は思っていません)

外国人の全員とは言いませんが、この逆を外国からきている多くの人たちは経験しているわけです。また、僕が助けられた英語教室のような制度が日本においてはまだ充実しているとは言えません。

日本に帰ってきても(僕の場合は15年ほど海外に住んでいる)、日本の風習に簡単に溶け込めなかったり、「ちょっと変わってるよね」と言われ続けたり(これは海外にいたからかはわかりませんが)、時折大変だなーって思うことがあります。だからと言って、日本を出ても外国人なのでどこにいっても「ここに属する人ではない」という扱いを受けることになります。帰国子女って英語ペラペラなイメージが先行するかもしれませんが、いいことばかりでもありません(そもそも外国語話せるとは限らない)

多文化共生のために立てた課題設定

多文化共生のために、いままでは人を変えることに着目されてきたのではないかと思います。つまり、国際交流をしたり、学校で多文化共生や異文化理解のための教育をして差別や偏見をなくそうとしたり、人の考え方を変えて多文化共生を実現しようとしてきたのではないでしょうか。

それに対して、いま僕は行動を変えることに着目をしています。さらには、外国人がいることによって日本人が恩恵を受けるという、やさしさとか道徳とかではなく、もっと実利的に考えてはどうだろうと考えています。日本人が外国人から目に見える形で恩恵を受ける状態です。

とはいえ、ただ外国人がいれば人手不足解消できるとか、商売でお金になるとかそういう話ではなくて外国人が日本人住民に感謝されるためにはどうしたらいいのだろうということです。(これはあくまでも現状の課題設定なので、もしこの課題設定に意見がありましたらぜひコメントで教えてください、今後の事業のために活かします。)

現状だと、例えば外国人の技能実習生が3人組とかでスーパーの前でどこのだかわからない言葉で話していて自転車でいつも行動している人たちを見かけることはあっても、交流はないし、交流しようとも思わないので「最近外国人増えて物騒になったね」と思われても仕方ありません。反対に、外国からきている人たちも「日本語もよくわからないし、どうしたらいいかわからないから」ということで自国の人たちとだけ交流することになります。ちなみに海外にいる日本人留学生も大体そうです(ちょっと勇気を振り絞って同じアジア人と交流をし始め、さらに他の留学生、最後に現地の人と交流…というのが多い印象です)

例えば、ここ雪国の新潟なら冬に近所の雪かきを手伝ってあげる、というのもいいと思います。そうすれば、それをきっかけに「あの人たちいい人たち」と思われるだけでなく、交流をするきっかけが生まれて行きます。ただ交流会をするだけではなくて、近所付き合いが生まれるわけです。具体的にメリットがないのに支援していては「税金を外国人に無駄遣いしている」と思う方も出てくるし、対立構造を生み出しはしても多文化共生には繋がりません。

日本人がどう関わったらいいかわかっていないのと同じくらい外国人だってどうしたらいいかわかっていないのではないでしょうか。問題がどこにあるのかを考えていくうちに、解決すべき問題は人にあるのではなくて、人と人との間にあるのではないかと考えるようになりました。

とはいえ、雪かきをしなさいと言って無理やり外国人にさせるものでもありませんので、いかにして「外国人側にとっても嬉しくて、地域の人たちに感謝される行動が取れる仕組みを作るか」ということが課題です。感謝されれば自分たちも存在価値を認められますし、外国で不安なことが多い時には結構大事なことだと思います。

ただし、どうこの課題を解決するのかに対してはまだ100%の結論は出ていませんが、近々外国人住民が災害時に地域住民のために活躍できるように防災事業を行う予定です。

もし、こんな事業してみたらいいのでは?というアイデアがあればコメントください!

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