レミゼ愛が止まらなくてこれまで文章にできなかった
このタグを見たとき、体が震えるようでした。私はここに来て唐突にこの題材を扱わなくてはいけないのかと震えたのです。だって私には、愛してやまないかの有名なミュージカルをまだ言葉にできる勇気がありませんでした。だから泣いても笑ってもnoteにしてこなかったのに、ここにきて。
おすすめ、なんてものではありません。みる気がないならもったいないから観ないでほしいくらいです。それくらいこっちは命がけでチケットをとっているし、全身全霊でその数時間に感性を研ぎ澄ましているんです。これを全世界の人に見てほしいという気持ちと、本気じゃないなら誰も観に来ないでほしいという気持ちが入り乱れます。冷静ではいられないから、これまで文章にもできませんでした。だってとてもじゃないけれどすべてを伝えられる気がしないし、今日もそれは不可能だと思います。
初めてレ・ミゼラブルを観たとき、私は小学生でした。おそらくはまだ低学年だった私には物語の内容は全くわからず、ただ私には目もくれず舞台を見つめて涙を流す母の横顔をこちらに向かせたくてちょっかいを出してはすごい剣幕で睨まれたことを覚えています。あのときの生意気な子供が劇場にいたら、今の私なら叩き出してほしいと思うでしょう。そのくらい私とレミゼの出会いは最悪でした。妹たち2人に母を取られるならまだしも、得体のしれない劇にとられるなんてまっぴらごめんでした。
それでも毎日通学の車の中で流されるレ・ミゼラブルの曲は魅力的でした。民衆の歌とエポニーヌのオン・マイ・オウンがお気に入りでした。「幸せの世界に縁など無い」という歌詞がずっと「幸せな世界にエンダドナーイ!」に聞こえていて、きちんと歌の意味がわかるまでは何年もそのまま覚えていたのを覚えています。
もう少し大きくなると、私は物語として原作の「ああ無情」と向き合うことになります。母の趣味で家にあっただろうその少し古めかしい本は子供でも読めるように編集されていて、きっと400ページくらいだったでしょう。なんとか内容を理解した私は、登場人物とその関係性くらいはわかるようになっていました。小学6年生くらいだったと思います。
中高生時代にも、母に連れられてはミュージカルを観に行っていました。母はとあるミュージカル俳優が好きだったため、むしろ彼が出ていない演目なのに欠かさずに観に行くレミゼは特例中の特例と言ってよかったです。とてつもなく涙もろい母が開始早々の司教様の歌で泣き始めているのを横目で見ながら、私はオン・マイ・オウンを楽しみに観ていました。
映画が公開されたとき、どんなものになっているのか1人で映画館に向かいました。1人で3回観に行ったのですが、1回目は2幕辺りからひたすらむせび泣き、音を立てないように必死で呼吸困難になりながら泣いている私がいました。2回目は少し冷静で、どのシーンがどうわかりやすく演出されているかなどを帰宅後に母に話した気がします。3回目は再び自分の感情に素直になって観られました。映画は切り取れる場面がより見せたいところにフォーカスできるので、物語としてわかりやすくなっていると思います。初めてレミゼを観る人なら、一旦映画で内容を理解することもおすすめです。
民衆の歌もオン・マイ・オウンも、その迫力のある歌声が好きでした。感情を思い切りぶつけられて、それに観客の私達は飲まれないように必死でついていく、そのエネルギーと感情の高まりが好きでした。
今ももちろんその歌はアイデンティティのように好きなのですが、最近はBring him homeや心は愛に溢れても好きなのです。爆発力ではなく、人をなぜ慈しむのかという気持ちに自分自身が触れたからこそ感動する場面が増えたような気がしました。昔は開始5分ほどで泣き始め、そこから泣き通す母を呆れてみていたものでした。でも今は、母の気持ちが少しわかってしまうほどに自分も年を重ねたようです。まだ親としての気持ちはわからないけれど、前よりずっと愛がわかる気がする。恋や片思いではなく、愛情というものへの理解を深めたことが作品の観え方を変えていました。
今年公開されたレミゼも死ぬ気でチケットを取りました。学生の頃は平日でも堂々と観に行くことができたのに、社会人になって休日のチケットをとろうとしたら途端に競争に巻き込まれます。キャンセルが出たときのアラームを設定していましたが、1,2分でも売り切れてしまうんです。初回発売は3時間費やし、それ以外のリセールでもう一枚手に入れました。
もはや私にとってレミゼは気合と体調のボルテージを最高まで高めていく儀式です。1人で行って、心のままに泣き、そのまま余韻に浸り続けて帰宅する。帰りに友人と談笑したり感想を言い合ったりする余裕が全くありません。最高の娯楽であり、最高のデトックスなんです。
今回観に行ったことで自分の中に歌が沁み込んでいるのがわかりました。もはや開始から詩の部分は一語一句自分の中にある記憶をなぞっていくようで、今見ているものがすべてなのか、自分の記憶を観ているのかわからなくなるほどに歌と溶けていました。目の前の現実だけを感じないことはもったいないことのようで、自分がたどってきた道のりを一緒に歩けているような不思議な感覚でもありました。
新演出になってから観たのはおそらくは2回目か3回目なのですが、物語自体のわかりやすさはましているような気がします。でもやはり危険といえどバリケードでアンジョルラスの死ぬシーンは、以前の赤旗の上に倒れる演出のほうが痺れるのは否めません。役者さんの安全第一なのでもちろん文句はありませんが、以前の演出が芸術的すぎたということでしょう。
こういう語りをいちいちしていると全く終わらないし泣けてきてしまうので、書いてきませんでした。きっともっと長い道のりをこのミュージカルと歩んできた人がいることはもちろん分かるのですが、私も想いは負けていないぞと思ってしまうからという理由もあります。こんなことが書きたかったんだろうかと今も迷走したままゴールテープを切ろうとしています。
またこの演目を観に帝国劇場に足を踏み入れるとき、私は全身でその空気を感じようとするのだと思います。全力で届けてくれる役者さんたちに向かって、自分も全力で感じる覚悟を持って臨みます。
こんなミュージカルに出会わせてくれた母に感謝を。そして次もチケットが取れますように!
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