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読んでもらえるそのことだけで、どれだけ救われたんだろう

自分の文章がこれで正しいのかわからない。

そんな感覚に何度も襲われながら、今日もまたnoteに文章を綴ります。毎日自分なりに書き続けてきた文章は300記事をこえて、それでも他の人の記事やスキの数に一喜一憂してしまうんです。

昔から文章が好きでした。

それはなにか強い理由があるわけではなく、好きなものは好きという類の愛情です。本当に好きな恋人の好きなところはいくつでも挙げられても、なぜ好きなのかという問いには答えられないのと似ています。好きだから。そうとしか言いようのない感覚が私と文章の間には横たわっています。

おそらく多くのnoteに傾倒する人たちが感じているように、それぞれの人が自分と文章との間の温度感であったり空気であったり共通認識だったりを持ち、大切にしていると思うんです。まさに恋人のように。

でも、それを本当に信じぬけるでしょうか。

私はずっと、自分の文章を好きでいながらも信じることはできないでいました。こんな私を本気で好きでいてくれるはずがないと感じるときと同じです。だってあの子のほうが可愛いから。あの子のほうがスタイルがいいから。あの子のほうが上手に笑えるから。あの子のほうが。

そんな風に、文章を書いても惨めになることは多かったんです。だから小さなプライドでも必死に守りたくて、あえて文章を公表することはしないできました。

素人なんだから素人の趣味と堂々としていればよかったのに、今みたいに好きなことを書いていることを認められませんでした。自分の文章のことを本当は好きなのに、読んでもらえないような文章だと決めてかかっていました。書いていても、心の底から楽しいと思えませんでした。

読まれなくても書き続ける。そんなに私は強くありませんでした。


それでもやっぱり書きたくて書き始めた何度目かの季節。

最後のチャレンジと少しずつ文章を載せ始めるようになりました。

でもそうしたら、毎日スキをくれる読者さんがいることに気づきました。こんなに小さな、見つけられないようなところにいた文章を誰かが見つけてくれている。そのことがどれだけ嬉しかったでしょう。

しばらくして、友人からメッセージが届きました。毎回いいねしちゃってうるさかったらごめんね。でも、まゆちゃんの書く文章がいいなと思って読んでしまうの。これからも応援してるね。

そんな風に突然届いたDMが私にどれだけ勇気をくれたか、彼女は知らないと思います。ほんの思いつきのメッセージだったかもしれません。でもそれは私が自分の文章に向き合ってあげるための重要な一歩になったんです。

それから、いろんな言葉をもらいました。

友人が文章のファンだと言ってくれたときには本当に嬉しかった。文章の純粋な良さは、優しい彼らの言葉からではわからないものかもしれません。それは評価ではなく優しさだと思うから。でも、そういう言葉を投げかけてくれる友人がいることが、私にはとてもあたたかく思えました。

私より、彼らのほうがずっと私の文章を信じてくれているのかもしれない。

そう感じて、信じてくれている人のためにも自分が書くことが好きなんだともっと自信を持って言いたいと思いました。覚悟も勇気も足りないけれど、書いている気持ちに責任を持ちたい。それは自分の文章を好きだと思ってもいいかもしれないという、許しの瞬間でもありました。


好きな気持ちを大切にしなさいと人は言います。

でも本当は、好きでもそれを公にできない場面っていっぱいあると思うんです。痛いやつって思われるかもしれないとか、下手なのにと評価されるかもとか、もっとレベルの高い人と比べられるのが恥ずかしいとか、理由は様々です。歌でもダンスでも楽器でもゲームでも、純粋に好きだと自分をさらけ出すことの難しさを感じて生きてきました。

好きだという気持ちを大切にするからこそ周りには言えないんです。

もし他人と比べて惨めになったり、それを誰かに笑われたりしたら、もう好きなものを失ってしまうかもしれません。それが怖くて、私も文章を書いているなんて言い出せませんでした。本当に好きなものを大切に箱の中に保管していました。好きなものと自分だけの世界で傷つかないように生きていました。

でも、それを少しだけ破ってみたら、好きを広げられる世界に出会うことができました。優しい言葉をくれる人がいました。自分の好きな気持ちにも自信をもつことができました。

今でも、迷ってばかりです。自分の言葉には何の意味もないように感じることもたくさんあります。読まれている人と比べて落ち込むことも、素敵な文章を読んだのに悔しくなることも、たくさん、たくさん。

でもそれって、好きだからなんだって今なら思えます。

好きだから、悔しいんだ。好きだから、悲しいんだ。

そして好きだから、また頑張れるんだと。


今日もまた文章を書いて、シーソーみたいに気持ちを揺らします。

自分だけの宝箱も輝いていたはずだけれど、大切なものを連れて周りを見渡したら、空は広くてお日さまは暖かかったんです。

私、自分で思ってるより書くことも自分の文章も好きだったんだな。

それに気づけた今、前よりもっと好きだと自信を持てるんです。

そしてそんな自分が、前よりずっと好きだと思います。


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