見出し画像

何にも生かさなくても、勉強は楽しい

資格の勉強をしていると、何をしたいの?仕事を変えたいの?昇進したいの?と言われることがある。次はこの資格やってみたいな〜というと、資格ハンターのように言われることもある。けれども、私は仕事で使いたいからとか、活かしたいからとか、そういう動機はあまりない。診断士の資格勉強も、どうせやるなら目標があったほうが燃えるからで、それを仕事に繋げたいとは今のところ思っていない。

友人たちは、勉強するなんて偉いねと言ってくれる。確かに、ものすごく時間を費やしているので、そんなことないよ〜とは私も言わない。ありがとう、である。でも、偉いという言葉は、実はそんなにしっくりこない。多分私には、必死に自分のことを犠牲にしてやっている感覚がないからだと思う。やらされているわけでもないし、自分で選んでやっている。

勉強を続けられる(知っていることが増えるのが純粋に楽しくて、結構ワクワクする)ことに対して、母は私の才能だと言った。謙遜せず言えば、そうなのかもしれない。昔から机に向かい続けることが苦ではなかった。頭の良さはさておき、好奇心は強い方だ。学んでみたいことは、いっぱいある。

診断士については、一応建前の理由もある。数年後には産休に入るとして、会社の中で融通を利かせてもらうことだ。私は今の会社のフレキシブルなところが好きだけれど、そのフレキシブルさを最大限享受しようと思ったら、ある程度環境を選択しないといけない。自分に選択肢を持つためには、この人は使えるから、ある程度の言い分は聞いてあげようと思わせられないといけない。そのためのカードは、何枚持っていたっていい。

ところで、同じ資格勉強をしている人が近くにいて、彼はそこそこ勉強が苦痛そうに見える。タフな人だからそこまで見せないけれど、少なくとも私の方が楽しそうだなと思うのだ。それで自分の勉強の動機についても考えてみたんだけれど、行き着いた結論は、私にとって勉強は趣味だからだった。

勉強がしたいからしているのであって、その先に何が見えているかは特に関係ない。それはすごくしっくりくる理由だった。純粋に知的好奇心が満たされていく興奮。社会人になっても、私は趣味の勉強を続けて行きたいなと思っている。私にとって打ち込めるものがたまたま勉強だっただけで、仕事の人もいるんだろうし、スポーツの人も、ゲームの人もいると思う。(ちなみに私は、本業にほとんど思い入れがない)

だから、別に偉くない。これからも「趣味勉強」でわくわく生きていこうと思う。本業以外の自立の道が見つかったら、もしくは本業が許したら、やっぱり大学院に行ってもいいなと思う。別に社会人になったからって、素晴らしい理由がなくたっていいんだ。「自分がそうしたいから」でキャリアも時間の使い方も、決めていきたいと思う。



この記事が参加している募集

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。 スキやシェアやサポートが続ける励みになっています。もしサポートいただけたら、自分へのご褒美で甘いものか本を買います。