見出し画像

「知識を身につける」ということ

ふと気が付けば、早いもので、インドでの3年半のコースを終えて日本に帰って来てから10年と3ヶ月が経ちました(2024年2月現在)。10年の間、いろいろな場所でいろいろな方に「最高の知識」とも呼ばれるヴェーダーンタの教えをお伝えしてきました。

長年勉強を続けている方もいれば、新しく始める方、そして、真摯に勉強していたと思ったら、いつの間にかどこかへ行ってしまう方など、人それぞれの学び方があるのだな、と感じております。お伝えする身としては、これからも、学びたいと志す方に余すことなく必要な教えをお伝えしていこうと思う今日この頃です。

いろいろな方にお伝えしてきて、人それぞれの学び方があると気付くのですが、沢山の方が、とにかく言葉を、そしてその表面的な意味を暗記して学んだ気になる傾向があります。

そういう人たちは、質問では言葉の意味や定義だけを聞いてきたり、Bhagavad Gitaの節を訳したので、合っているか読んでみて下さい、とリクエストしてきたり。真摯に勉強をされているのは伝わってきますが、表面上の訳が合っていたとしても、そもそもの学び方と学ぶ姿勢が間違っているので、「表面的な意味だけではなく、先ずは学ぶ姿勢から学んでください」とお伝えするようにしています。

また、○○のテキストを数回勉強したからという理由で他の人に教え始めてしまう、というandha paramparā(目の見えない人が他の目の見えない人をガイドして辿り着きたいところに辿り着けない教えの継承)も起こってしまうのは、ヴェーダーンタの知識がどんなものなのか、そして、その知識を身につけるとはどういうことなのかを理解していないから起こるのだと思います。こちらも、「表面的な意味だけではなく、先ずは学ぶ姿勢から学んでください」とお伝えしたいです。

一方、学ぶことをやめてしまう人は、表面的な意味しか理解できていないので、その教えの「効力」や「恩恵」を受けることが出来ず、何も変化が起こらないのでやめてしまうんだろうな、とも思います。だって、この教え「最高の教え」なんですもの。。。

表面的な意味を暗記して覚えることで知識を身につけた気になるのは、日本の教育の特徴なのかもしれません。テストに出るので、そのための勉強をする、良い点が取れたらそれでOKといった感じですね。

ヴェーダーンタの教えはサンスクリット語の専門用語が沢山出てくるので、初めのうちは言葉を覚えていくだけでも大変かもしれませんが、ヴェーダーンタを学ぶということは、表面的な言葉の意味を学ぶのではありません。

ヴェーダーンタの教えには2段階あります。
最終的にはヴェーダーンタの神髄の教えを理解することが目的ですが、そのためには知識を得るための準備をしないといけません。
ヴェーダーンタの神髄を理解することがjñāna yogaと呼ばれ
その知識jñānaを得るための準備がkarma yogaと呼ばれます。

こちらも言葉のみを知っている人は沢山いるのでしょうか、karma yogaこそ言葉と定義を知るのみではなく、きちんと生活の中で学んだことを生かしていかなくてはいけない教えです。

その教えに沿ってきちんと自分の私生活、働き方、お金の使い方、言動、そしてマインドの中まで見つめ直し、今までの自分の好き嫌いという行動の判断基準をきちんと「教え・Dharma」という判断基準に変えていきます。それはとても大きなトランスフォーメーションなのです。

これが出来ない=ヴェーダーンタの最高の知識を得る準備が整っていないという事なので、社会から退いてインドに行って有名なグルと讃えられる大先生の元でいくら勉強したとしても意味がありません。

ヴェーダーンタのkarma yogaの知識は日常生活での自分の行動を改める基準となり、今までの間違った概念を壊して正しい方向に導いてくれ、最高の知識を得るための準備を整えてくれます。

最終的には常に、既にある自分の本質を知るので、何も変わる必要はなかった、と知るのですが、それを知るためには大トランスフォーメーションを起こさないといけないのです。矛盾しているように見えますが、トランスフォーメーションが起こったら、それがそういう事か、と腑に落ちる真実です。

知識を身につける、ということは、知識を日常生活での必要な時に適宜思い出して、それを判断基準にして自分の行動や考え方を改めていけることです。

なので、私の先生は3年半コースが終わったら、「社会に身を置きなさい」と常におっしゃておりました。
社会に身を置くことは、知識がいかに自分に身についているのかを知るテストなのです。

そのような知識をお伝えしたく、「アディカーリーとは?」という3日間のキャンプを予定しております。アディカーリーはヴェーダーンタの知識を身につける準備が整った人の事です。

8月には5日間のキャンプも検討中ですので、知識を身につけアディカーリーになりたい方は是非ご参加ください。

最後に、サンスクリット語で次のようなことわざがあります:

पुस्तकस्था तु या विद्या परहस्तगतं धनम्।
कार्यकाले समुत्पन्ने न सा विद्या न तद्धनम्॥
pustakasthā tu yā vidyā parahastagataṁ dhanam|
kāryakāle samutpanne na sā vidyā na taddhanam||

本に留まっている知識と他の人の手にある富は、
必要な時、それは知識でも富でもない(何の役に立たないので)

知識を身につける、とはどういうことなのかを知って、知識をきちんと身につけていきましょう!

ちなみに、知識を身につける、の「つける」は「付ける」と書くのでしょうかどちらかというと「着ける」だな、と思ったので、このNoteではひらがなで表記しました。「知識を身につける」自体が日本語的な表現で、知識との距離感が現れているのかな、とも感じました。英語だとassimulate(同化、吸収、咀嚼して消化する)が使われます。

शुभम् भूयात्
śubham bhūyāt


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?