あなたは昨日の私
駅前のカフェで待ち合わせの相手を待っていた時のことです。目の前にタクシーの待機場所があり、そこを囲む形でバス停がぐるっと円状に並んでいます。バス待ちの人たちをぼーっと見ていました。
バスが次々と来ては人を吐き出し、また収納して去っていきます。並んでいて乗らない人はけっこういて、同じバス停でも始発のバス停なので海廻り、山手廻りなどとルートの違う複数の路線が一つのポールに並ぶようところもあるからです。
それにしても・・・と思う人がいました。もう何台のバスをやりすごしたでしょう。その人はそこに止まる二つの路線のバスをどちらもやり過ごして尚、立っていました。
そこで自分の連れがようやく来た時、立っている彼に訊いてみたんです。
「すみません、つかぬことをお訊きしますけど・・・バスに乗らないんですか?」
「・・・不思議ですよね。そこのカフェから見てたんですよね?」
ちょっとドキッとした。こっちが観察しているつもりだったのに・・・。
「・・・気づいてたんですか?」
「はい。今のあなたの気持ち、すごくよくわかります。」
彼はしみじみとぼくの目を見て握手を求めてきました。しかも両手で来てますから受けないわけにはいきません。気迫に押された格好です。早足で行き交う人たちがバス停で堅い握手を交わすぼくらを見ながら通り過ぎていきます。彼の掌はしっとり汗ばんでいました。
「あなたは昨日の私なんです。」と彼は言いました。
「What?」思わず英語がでました。
「私も昨日あなたと同じようにそこのカフェからこっちを見ていて、バスに乗らない人がいることに気づいたんです。」
「え!」
「それで今日はじめてバスに乗らない人になってみたんです。」
「・・・ずいぶんおヒマなんですね。」
「逆です。仕事が忙しすぎて時間がいくらあっても足りません。だからバス停に並んで乗らない人のことが理解できなかったんです。」
「・・・並んでみて何かわかったんですか?」
「わかりそうな予感はあります。あなたも一緒に並んでくれませんか?」
彼はまた私の手を握ろうとしましたが、ぼくは振り払って後ずさりしました。
「嫌です。」
「週1からでもいい。自分の都合に合わせて。なんなら月ごとのシフト制だっていいんだ」
「コンビニバイトかよ!ぼくはこの世界に深入りしたくないんです!家庭だってある。ただちょっとほんの興味本位で覗いてみただけなんだ!」
ぼくは待ち合わせていた相手の腕をとって走りだした。その後ろから彼が大声でこう言うのが聞こえたんです。
「ニーチェは言った。『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている』と!」
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