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現役ハロオタも知っておくべき!ハロプロ歴史的事件【ハロマゲドン】VOL.①

先日こんなサイトを見つけた。

ハロプロファン、所謂"ハロヲタ"が使っている用語が解説されたサイトだ。
「#えりぽんかわいい」「FSK」「ハロショ」など、現役ハロヲタなら知っているであろう用語がズラリと並んでいた。しかしその並びの中に現役とは無関係の用語が出てくる。

それが、【ハロマゲドン】という言葉。

2002年に行われたハロプロの構造改革を指すのだが、今から18年前の事。当然現役メンバーにも現役ハロヲタにも何の関係もない出来事なのだ。なぜこのハロマゲドンを紹介する必要があるのか。
それは、この出来事が22年のハロプロの歴史において大事件であることに他ならない。そしてこの改革は繰り返される。現役組にもこの先ハロマゲドンの脅威が襲い掛かるかもしれない。その時の為に、1ファンとしてハロマゲドンを体験した私が、当時の状況とその後どうなったのか、ハロヲタ目線で感じたことを記しておこうと思う。


改めてハロマゲドンとは?

2002年7月31日に発表された、ハロー!プロジェクトの大規模な改革の事。色んな発表が一遍に投下され、ハロヲタの精神を次々に直撃。それが、流星群が次々に地球を襲い、都市を壊滅させた映画『アルマゲドン』の様であることから『ハロマゲドン』という呼称が付いた。発表された内容は以下の通り。

後藤真希、保田圭のモーニング娘。卒業。

タンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバーチェンジ

矢口真里とハロー!プロジェクト・キッズによる新ユニット結成。

平家みちよのハロー!プロジェクト卒業。

2002年当時のモーニング娘。は国民的アイドルとしての地位を確固たるものにしており、この年の夏も24時間テレビメインパーソナリティを務めることになっていた。グループ内ユニットであるタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。も安定しており、特にミニモニ。は子ども達のカリスマ的存在だった。この平和を崩すかのような改革に多くのファンは反発。ワイドショーや新聞紙面でも特集が組まれ、ファン以外も巻き込んだ大騒動に発展したのである。
この後は各発表の詳細を紹介する。


①後藤真希、保田圭のモーニング娘。卒業

最も大きく報道されたのがこちら。スポーツ新聞の一面にデカデカと【ゴマキ脱退】の文字。当時のモーニング娘。の持つネームバリューの大きさが分かる。そしてその人物が【後藤真希】ならば尚更だ。現役生にもレジェンドとして語り継がれるモーニング娘。3期メンバー・後藤真希。当時を生きていた人のほとんどが知っているのではないか。
彼女が加入して初のシングル『LOVEマシーン』はミリオンヒット。その後はグループの絶対的エースとして君臨し、人気も常にトップを争っていた。2001年よりソロ活動も平行して行っており、いつかは卒業のお知らせが来るだろうと思ってはいたが、いざその発表があると辛い。エースが抜けた後のモー娘。は一体どうなってしまうのだろう?という不安がよぎった。

もう一人、卒業が発表されたのが【保田圭】。
決して人気メンバーではなかったものの、この頃には『いじられキャラ』の地位を確立。『うたばん』を始めテレビ番組を盛り上げてくれる存在だった。彼女の場合、ファン以上にメンバーがショックだったのではないか。パフォーマンス面では高い歌唱力でユニゾンを支え、精神面でも後輩メンバーのサポートを積極的に行っていたことが後に語られている。正に【縁の下の力持ち】なメンバーだった。

グループの特性上、卒業メンバーが出るのはしょうがない事ではあるが、やっぱり寂しいものである。


②タンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバーチェンジ

おそらく最も反感を買ってしまったのがこの改革。
これら3つのユニットは安定した人気を持っていて、今後もこのまま続いていくものだと誰もが思っていた。そこで発表された突然のメンバーチェンジ。
まず、後藤、保田がモー娘。を卒業することとなった【プッチモニ】。
保田圭、後藤真希、吉澤ひとみ】から、【吉澤ひとみ、小川麻琴、アヤカ】へとチェンジ。

初期メンバーだった【市井紗耶香】がモー娘。卒業と同時にプッチモニも卒業したので、後藤、保田も同じく卒業する事は決定事項だった。
残留することになったのは吉澤 ひとみ。そして新しくグループに参加するのはモーニング娘。5期メンバー・小川 麻琴とココナッツ娘。のアヤカ。

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アヤカが加入したことで、プッチモニはモーニング娘。内ユニットからハロプロ内ユニット扱いに。
ただ、ハロプロ内ユニットならばモー娘。は卒業してもハロプロには残留する後藤、保田が卒業するのはおかしい、という意見も少なからずあった。

続いて【ミニモニ。
矢口真里、加護亜依、辻希美、ミカ】から【ミカ、加護亜依、辻希美、高橋愛】へチェンジ。
矢口が後述のキッズとの新ユニットを結成することになり卒業。リーダーはミカに交代。新メンバーとしてモーニング娘。5期メンバー・高橋愛が加入。

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結成時のミニモニ。加入条件は【身長150cm以下であること】だったが、当時身長153cmの高橋が加入したことで、その条件は撤廃された。同じ5期メンバーの【新垣 里沙】は150cm以下で条件を満たしていたので、わざわざ条件を撤廃してまで高橋をいれるべきなのか、こちらも疑問が生まれた。

そして最も反発を生んだのが【タンポポ
飯田圭織、矢口真里、石川梨華、加護亜依】から【石川梨華、柴田あゆみ紺野あさ美新垣里沙】へとチェンジ。3つのグループの中で最初にモーニング娘。内ユニットとして1998年に結成されたタンポポ。結成当時からのメンバーである飯田と矢口、2000年に加入した加護が卒業。
唯一残留となった石川、メロン記念日の柴田あゆみ、モーニング娘。5期メンバー・紺野あさ美、新垣里沙の4人で活動することになる。

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最も反発が大きかった理由は【メンバーを卒業させる理由が明確でない】ことだ。
プッチモニの後藤、保田はモー娘。卒業の為。ミニモニ。の矢口は新ユニットに専念する為。という理由がある。タンポポにおける矢口もそう。加護はユニット掛け持ちを解消し、ミニモニ。に専念する為。そして飯田は…というとコレといった理由がない。モーニング娘。のリーダーに専念するといったぐらいか。

そもそもタンポポは飯田と、同じ初期メンバー・石黒彩の声を活かす場を作る為に結成されたグループ。そこにモーニング娘。2期メンバーからも1人、ということで矢口が加わった。飯田も矢口もタンポポに 並々ならぬ愛情を注いでおり、特に飯田は『命に代えても惜しくない』と口にしたほど。そんな彼女達からよく分からない理由でタンポポを奪うな!とファン達はとにかく憤っていた。

現代のようにSNSも動画配信もなく、彼女達の内心を直接知ることはできなかったが、矢口は自身のラジオ番組でグループ卒業を涙ながらに語り、メンバー自身も動揺しているようだった。

様々な意見が飛び交う中、メンバーチェンジしたグループは順次活動を開始する。その後に関しては後述。


③矢口真里とハロー!プロジェクトキッズによる新ユニット結成

2002年6月30日、オーディションに合格した全員小学生のハロー!プロジェクトキッズ15名。この時点では矢口とこのキッズでユニットを結成するという発表のみ。人数、デビュー日などの詳細は未定だった。小学生が加わる事自体に当時は歓迎よりも反発、懸念の声が多かった。結局グループの始動は1年後の2003年8月まで待つことになる。

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【矢口真里、梅田えりか、清水佐紀、矢島舞美、嗣永桃子、村上愛】【ZYX(ジックス)】として2003年にデビュー。このプロジェクトに関してはしばらく音沙汰がなかったので、なくなったのかと思っていた。


④平家みちよのハロー!プロジェクト卒業

『ハロー!プロジェクトはモーニング娘。から始まった。』と現在でも言われているが厳密には『平家みちよとモーニング娘。から始まった。』が正しい。

1997年、テレビ東京系番組【ASAYAN】で行われた【女性ロックボーカリストオーディション】。ここで見事合格したのが【平家みちよ】。落選した人を集めて結成されたのが【モーニング娘。】。平家の方が先にメジャーデビューして活動している。しかし、モーニング娘。がブレイクしたことで立場が逆転。居場所を失ってしまった。初期のハロプロには【太陽とシスコムーン】という平家と同じ大人組がいたので良かったが、この2002年には若手メンバーが増加。ハロプロメンバーである以上、グループをごちゃ混ぜにして毎年結成する【シャッフルユニット】や【ハロコン】に参加しなければならず、大人の平家は完全に浮いてしまっていた。なので卒業は仕方のないことだった。…とはいえハロプロの元祖をひっそりと卒業させてしまう事に、初期からのファンは『みっちゃん良い子なのにね…』と悲しんだ。

これら4つの発表が同時に行われ、ハロヲタは大騒ぎ。当時から発達していたネット掲示板は大荒れだったとか。朝のニュースでもフリップを出して誰がどうなるか詳しく解説していたが、ファンですら混乱しているのに、そうじゃない人がニュースで解説されてもちんぷんかんぷんだったであろう。
私もパソコンでWordを開き、誰がどのユニットに所属するのかを打ち込んでおかないと分からない程だった。更にこの後も改革は進んでいく。


終わらないハロマゲドン

大きな改革は大きく発表された4つだが、その後も次々に新展開が発表された。

・カントリー娘。初代メンバー・りんね卒業
・童謡のおねえさん・石井リカ卒業
・ごまっとう【後藤真希、松浦亜弥、藤本美貴】結成
・モーニング娘。6期メンバー加入
・藤本美貴、モーニング娘。加入
・モーニング娘。がさくら組とおとめ組に分かれる

これらがハロマゲドンから半年間の間に行われた出来事。2002年(改革前)と2003年(改革後)ですっかりハロプロは様変わりした。そして、その改革の結果どうなったのか、次の項目から述べていく。


ハロマゲドンがもたらした結果

①出鼻を挫かれる後藤真希
発表から約2ヶ月後の2002年9月23日、後藤真希はモーニング娘。を卒業した。早速ソロシングルの発売が予定されていたが、同じハロプロソロアイドルの松浦亜弥、藤本美貴とのユニット【ごまっとう】のシングル発売へと変更された。後藤自身もソロ活動スタートがユニットになり、複雑な心境であったことを当時の番組で述べている。年末に待望のソロシングルをリリースしたが、『サン・トワ・マミー』という昭和歌謡のカバー。年明けのミュージカル用の曲であること、2002年当時が『亜麻色の髪の乙女』に代表されるリバイバル・ブームだったことから、このシングルになってしまったことはしょうがないのかもしれないが、ファンは不満を募らせた。


②休止に追い込まれるユニット達

メンバーチェンジをしたユニットの中で最初に始動したのがタンポポ。2002年9月26日に『BE HAPPY 恋のやじろべえ』をリリース。


石川、加護加入後のガールズ・ポップ路線を受け継ぎながらもラップを取り入れ、新生タンポポをアピールする曲だった。曲の評判は良かったが、それ以上に反発が強かったからか、売上はメンバーチェンジ前から一気にダウン。CDが売れない時代に突入したこともあるので一概にそれが理由とは言えない。しかし、その後は新曲を出すこともなく、年明けのハロコンを最後にグループとして歌う機会も終了。2003年9月に唯一の活動だったラジオ番組が終了したことでタンポポは事実上の活動休止となった。

タンポポの次に始動したのがプッチモニ。10月9日にシングルを発売する予定だった。しかし、発売の延期が決定。その後も延期が繰り返され、結局販売されることはなかった。
当時のモーニング娘。のコンサートにはココナッツ娘。が帯同していたので、ライブ活動の場はタンポポよりは多かった。2003年には新曲『WOW WOW WOW』を発表。


『街の中の木々も 色づき出した季節』『夏の終わりに始まった 恋も紅葉してる』という歌詞から10月に発売予定だったシングル曲と思われる。従来のプッチモニ同様元気さ溢れる曲。小川がセンターを務め、フレッシュさもアップ。この年の春のモーニング娘。コンサートツアーまで出演していたが、それ以降の活動は無く、こちらも事実上の活動休止。『WOW WOW WOW』は結局ハロプロのコンピレーションアルバム『プッチベスト4』に収録され、プッチモニのシングルとして発売されなかった。

1番最後に始動したミニモニ。は2003年4月より活動を開始。まだまだお子様人気は強く『おはスタ』とのタイアップもあり、他のグループよりもスムーズに新体制に移行した。しかし、グループの要である辻加護コンビは高校生になり、ミニモニ。の"ちっちゃくてかわいい"路線の継続は難しくなっていた。
2003年10月には突如その路線を辞め、クールな楽曲『CRAZY ABOUT YOU』を発売。


その前に発売された『ミニモニ。数え歌』と比べると変わりすぎである。


その後ミカがミニモニ。及びハロプロ卒業を発表したことで、2004年5月に活動を休止した。活動休止が明言され、TVやライブで歌う機会があっただけ他のユニットよりは恵まれていたかもしれない。
この時期に発売されたアルバム『ミニモニ。ソングス2』はかわいい路線とクール路線の楽曲がごっちゃまぜになってなかなかにカオスなのでオススメ。

こうして1番物議を醸した各ユニットは全て活動を休止することになってしまったのである。


単発ユニットの増加

タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。という継続して活動をするユニットが休止した代わりに、シングルを1~2枚だけリリースするユニットが急増。矢口とハロプロキッズによるユニット・ZYXもシングル2枚で活動を終了した。

主な単発ユニット(2003~2004)
・ごまっとう
・ZYX
・あぁ!
・ROMANS
・モーニング娘。さくら組
・モーニング娘。おとめ組
・おけいさんと安倍なつみ(モーニング娘。)
・後浦なつみ

それまで継続したユニットを見てきたファンは、次々と現れる新ユニットに困惑。特に2003年は多くのユニットが生まれたため、毎年その1年にリリースされたハロプロの楽曲をコンパイルしたコンピレーションアルバム『プッチベスト』に曲が収まりきらず、松浦亜弥と後藤真希の曲が未収録になるほどだった。
タンポポ、プッチモニやココナッツ娘。など既存グループは新曲のリリースがないのに新グループが次々に結成されることに異論を唱える者もいた。


こうして、多くの混乱を招いた【ハロマゲドン】はその後しばらく【失敗】というレッテルを貼られ、ハロプロ衰退の原因とされていた。
ではそれから18年の月日が流れた今、ハロマゲドンは本当に失敗だったのか。更にその後、そして現在のハロプロを鑑みて改めて検証していく。
かなり長くなってしまったので続きはまた次回。




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