掌篇小説『ゼブラ』(767字)
『考える人』の像は、実はたいして考えていない、と聞いた事があるけれど。
窓辺の席をいつも陣どる彼は、独語の原書をひらき、悩ましげ。横顔は鼻筋がきれいで、眉のうえに揃えた前髪が歳よりあどけなく見せる。
独語で悩んでいないのは明白。彼の右には彼とおなじ顔の白い天使、左には黒き悪魔がいたから。
心の善悪が可視化したらしい。見えるのは私だけか、それとも図書室ゆえか、気に留める者はない。
天使と悪魔は各々の役割、および図書室マナーを護り? 左右の耳に何やら、音色だけは子守唄のように優しく、囁いている。
結果、彼は両手で髪を掻き毟り、机に伏す。窓際に遣られた本は西陽で字も見えぬが、泪が滲んでいたか。
悪魔は呆れた風に肩を竦め、天使も溜息をついた、かと思うと、ふたりは彼の背後で横顔を寄せ、磁石のように、ふわり、唇をかさねた。逆光で影となったたがいの衣も羽も、夕光の所為みたいに、融けあい。
………やがて、私の眼が慣れ映ったその姿は、ふたりでなく、独り。
白地に黒の縞模様が、生身の健やかな青年らしい整った体躯、脚も臀部も、胸も首も顔をも、隈なく横断し、艶かしく彩る、ひとつの存在であった。
それと時をほぼおなじに、本体(?)の彼は何かあらたなものが萌(きざ)したか、泪も忘れたドライな面ざしでムクリと立ちあがり。本も鞄もその儘に、歩みだした。ゼブラ柄煌めく青年(?)も軽やかに、後をゆく。
私の側を過ぎる刹那、ゼブラが私に目配せし。
「善と悪は、分離すれば惑う、融けてしまえば迷わぬ。生憎彼の場合、1日1分限りだがね。
……しかし、行動を起こすには、十分な時間だ」
音のない声であった。私のなかで反響する。悟り澄ました、白と黒の声。
彼本体は、拳をかるく握り、でも唇の端を微かにあげ、革靴を規則的に鳴らし。尻尾を揺らすゼブラとともに暗い廊下へと、沈むように、消えた。
©2022TSURUOMUKAWA
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