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宮城男子旅

僕たちは、東北プロジェクトの一環として東日本大震災の被災地である宮城県に足を運んだ。

1日目

仙台空港に着いたのはお昼過ぎ。

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仙台空港から仙台駅までは、ちょうどセントレアから名古屋駅くらいの距離感だった。

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とりあえず、仙台城跡にいる伊達政宗に会いに行くことに。

しかし、仙台駅から仙台城跡までの唯一の交通手段るーぷる仙台というバスはすでに運行を終えていた。

仕方なく、国際センター駅から山道を900m歩くことにしたのだが、山道は落石により、徒歩での通行は禁止されていたため、やむなく遠回りをして歩く距離が1.5倍ほど増えた。

やっとの思いで伊達政宗像にたどり着くことができた。

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グループに日本史オタクはいなかったが、みんな山道を登り切った達成感と疲労で伊達政宗が輝いて見えた。

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帰路に着く頃には、日が暮れて、すっかり夜ご飯時になっていた。

仙台初の食事は、仙台名物牛タン。食べ放題で食べる牛タンとは厚みも味も段違い。ただ、メインを差し置いてみんなが絶賛していたのはテールスープ。疲れた体に染み渡った。

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1日目終了。

2日目

7時起床。眠い体を動かし、レンタカーを走らせ、まずは南三陸町に向かった。

この日の南三陸町の空は、青一つない、曇空でした。

平日のオープン前と言うこともあり、人気は少なかった。

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そのおかげもあり、南三陸の有名な海の幸、限定10食のマグロ丼を食べることができた。中でもみんなが絶賛していたのは中央の大トロ。愛知では食べたことがない口溶けで、まるで南三陸町の宝石箱や~。

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気持ち改め、南三陸町防災庁舎を見に行き、津波の恐ろしさを知った。ここは、屋上の床上約2メートルの高さまで津波にのまれ、骨組みのみとなってしまった。建物は、柱も折れ曲がり、元の建物を想像できないほどで、衝撃的だった。

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次はこの旅で1番衝撃的だった大川小学校。当時、大川小学校は津波の到達を想定しておらず、防災ガイド・ハザードマップは、ここを避難地として指定していた。結果、判断が遅れ、地震発生から避難に40分かかり、多くの人が亡くなった。防災意識を改めて持ち、防災訓練の重要さを知った。


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見ての通り、2階建ての小学校が丸々津波にのみ込まれ、柱のみとなってしまった。黒板は流され、天井も剥がれ落ち、学校としての見る影はなかった。特に渡り廊下は、みんな言葉を失うほどショックな光景だった。

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次の目的地は、日本三景の一つである松島。先ほどとは、異なり特殊な地形によって松島は、奇跡的に被害が少なかった。そのおかげで、今でもこの絶景を楽しめて、本当に良かったと思う。

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2日目の締めも牛タン。分厚い牛タンも美味しかったが、やっぱりみんなテールスープが1番好評だった。

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2日目終了。

3日目

最終日は、昨日に変わりゆっくり起床。

旅の最終目的地は荒浜小学校。2階まで津波が押し寄せたが、避難した340人の命を守りきった。来館者に津波の威力や脅威を実感していただき、防災・減災の意識を高める場として、写真やモニターなどが展示されていた。大川小学校とは異なり、学校内に入って見学することができ、間近で教室の被害を目の当たりにし、津波の威力を感じた。

写真の通り、10年たった今でも小学校の周りは、町があったとは想像できないほどの更地で、復興は今でも続いている。

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3日目終了。

旅の総括

仙台は、名物や観光名所など活気にあふれ、とても充実した時間を送ることができた。ただ、市街地を出ると、防波堤を作っていたり、まだ更地が残っていたり、10年たった今でも復興途中だと実感することができた。被災地として、東北は遺構や経験を後世に語り継ぐために努力している。この思いを糧に、防災意識を高めると共に、周りにも地震や津波の恐ろしさを伝え、防災意識を高めて欲しいと思った。


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