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触れたいと、わたしの全てが叫んでいる。

土に触れたい!!!!

雫に濡れた植物の葉に触れたい!!!!

雨に濡れることすら厭わず…。

今日、朝起きたら、こう体が叫んでいた。
いや、心か。
いや、心も体も、わたしの全てが、だ。

体の中が嫌にむずむずしていて落ち着かない。

体の中に電気が溜まっているようで、それをそっと地面に逃してしまいたい気持ちがした。

たまらなく外に出たかった。

でも、わたしの住んでいる町を散歩する気にはならなかった。

外に出るには、わたしの町には車が多すぎる。
車の気配がしないところがない。

…といっても、ものすごく田舎の町なのだけれど。

わたしは車が怖い。
音やその暴力性、そして、自分自身が自動車学校でひどい教官に受けた暴言、態度のトラウマから…。

わたしの町にだって植物や土もあるけれど、触れる気にはならない。

町の多くはアスファルトに覆われていて、そもそも土である部分が少ないけれど、数少ない土が露出している場所というのは、公園のような場所で、そこにある土にはたいてい生命力がない。
人間に踏みしめられ、何処かから運ばれてきたその土は、カチコチで魅力がない。

町に生えている植物は、必ず誰かのものか、触れるのが躊躇われるような、得体の知れない汚れに怯えなければならない類の草がほとんどだ。

わたしは、生きている土に触りたい。

躊躇わずに触れる植物に触れたい。

それに、公の場には出たくないという気持ちもある。

わたしと土、植物の個人的ふれあいに、他人の視線や意識が介在してはならない。

実際に見られたり、意識されていないとしても、わたしがそのような心配をするようではならない。

わたしは、純粋なる本来の感情をもって、一種の恍惚状態によって植物や土に触れたかった。

誰にも見られたくなかった。

わたしはそれに適した場所を知っている。

母方の祖母の家の庭だ。

土に根ざした木々、草花がそこにはいて、草陰に隠れることができる。

空間的、人的距離のゆとりがあり、誰かといることも、一人になることもできる。

とてつもなく寂しいけれど、個人的な体験をしたいという気持ちのわたしにとって、理想の環境。

伯母が一緒に暮らしている、暖かくふかふかした犬もいる。

少し歩けば、わたしたちが植えた野菜のいる畑がある。

それぞれが異なる光彩を放つブローチのごとき百日草が繁茂し、ふわふわした秋桜の葉が水路の側の道を覆っている。

いつかジャムになって、わたしたちの腹の中に入ることを約束された木瓜の実は着実に大きくなって、お盆を過ぎた庭にはお羽黒蜻蛉がひらひら飛び交っている。

ああ、恋しきあの風景。

しかし、自力で行くことは叶わない。

歩いて行ける距離にはない。

車の運転できないわたしは、母の運転してくれる車に乗って行くしかない。

今日は殊更不安定な心は叫び、お腹は相変わらず痛んでいる。

すると、明日祖母の家に行けることになった。

明日が待ち遠しい。

悲しいほど切実に、わたしは土と植物との触れ合いを望む。

今は、塔に閉じ込められた髪長姫の気分だ。

いや、わたしは本来、超がつくほどのインドア派なのだけれど、それでも今は、息が詰まりそうなこの気分を、土とそれに根ざすものに触れ、安らぎたいのだ。

早く、静かで生命に満ちた、あの場所へ行きたい。

とりあえず、今日少しでも安らかに過ごせますようにと、わたしに、そしてわたしと同じように苦しい状況にある人に、祈る。

むじゅん

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