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自己肯定感がとても低い故の完璧主義。

勇気を出して前回生まれて初めてネットに自分の文章を公表したら、イイねを沢山頂いて、とても嬉しかった。
しかし厄介な事に私の要らぬ完璧思考が邪魔してきて、2回目の投稿ができなくなった。
自己肯定感が低いので、何をする時でも、私は完璧でなくてはならないという呪いにかかっている。

小さい頃から絵が好きで、物心つく前から毎日ずっと絵を描いていた。
ささやかだけど、自分の一番好きな事だった。
絵は得意だったが、大人から、上手いねと言われたり注目されるのが何故か怖くて、幼稚園と小学校4年までは、図工の時間はわざと下手に描いたりもした。

先生でも親戚でも、とにかく大人はいつ機嫌を損ねて急に黙り込んだり怒り出したりするかと怖くて堪らなかった。
幼稚園で絵を描いてたら、先生2人がこちらを見ながらヒソヒソと私の絵を見て話していたので「悪口だ、すごく怖い」って怯えたのを今も覚えている。
後に私の絵や工作を褒める言葉を親に伝えていたので悪口ではなかったのだが、私はこの先生を全く信用していなかった。

中学生になるとリアルに付けられる5段階の成績がとても気になり始めた。絵だけが小さい頃から好きな事で、周りからも注目される要素だったので、
「特に美術だけは最高の成績を取らないと、私は生きている意味がない。」と自らに多大なプレッシャーを掛けるようになった。

すると全くイマジネーションが無くなって、小手先のテクニックに頼った誠につまらない絵しか描けなくなった。
描いている間は「上手く描けるのか?他者にどう評価されるのか。駄目だこんなの失敗作だ!」という具合に頭の中はフル回転で心配事が尽きず、気が気じゃなかった。

「美大に進みたいな、進むのだろうな」と漠然と思っていた子供時代であったが、特に17、18歳の頃の絵に関してプレッシャーに追い詰められた精神状態では、到底絵の世界に入るなんて無理だと思った。

それに教育熱心な、狂った父が美大への進学を許してくれるとも思えなかったし、聞いたら案の定すぐ反対された。
「美術がそんなに好きなら、毎日毎日絵を描くとかして、お前の生活に現れてるはずだが、父さんにはそれが見えん」と。
「死ぬ気で毎日勉強したら苦手な数学も得意科目になる。資格が手に入る理系の学部に行け。」が父の口癖だった。

反対され私はすんなり引き下がった。
しかしこれは最初の挫折であった。その時は解らなかった。
これは自分を嫌いになる種類の、とても長く尾を引く挫折だったのに。
私の自意識過剰のせいで、自分の最も好きな事を自ら闇に葬ってしまった。
絵はほぼ今も描けないままだ。描くのは怖い。

でも文章は書ける。だから書き続ける事にした。
20年近くヨーロッパにいるので書きたいネタも沢山ある。
誰にどう評価されようと気にせず、私が必死で生きてきた過程を包み隠さず書いて残したい。
アウトプットはとても下手だけど、頭の中は常に洪水のように感情が渦巻いている。

同じように虐待にあってしまい、必死で生きてる人に、ここにもまたひとり歯を食いしばって生きている人がいるよと伝えたい。

生きることはサバイバルで、常に危険を避けようと過覚醒でヘトヘトだし、苦しみに何の意味があるのかわからない。
それでも時々小さくても良いことが散らばっているので、それらをかき集めて、自分を納得させる。

それらが私の哀しみやトラウマによる生き辛さを上回ったら、私の勝ちなんだろうか。

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