有限の中に、無限を知る


足るを知る

まあ、もしかしたら当たり前のこともかもしれません
そんなことかもしれませんが、まあ聞いてください

昔の人は「足るを知る」なんてことを言いました
このお題の「有限の中に、無限を知る」なんつーのも
お仲間みたいなものです

「足るを知る」っていうのは
ちょうどいい辞書を引いてみましょう

検索してみる

ヤフーで検索しますと、いちばんうえにこんなん出てきました

「足るを知る」とは、古代中国の思想家、老子の言葉です。 「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しています。 不満を言っても、自分がミジメになるだけで状況は変わりません。

まあ、本の広告がとなりに出ていたんで
最後の一行なんか、辞書っぽくないですよね(笑)
まあ、しかし、辞書っぽくない一行にも真実は現れているわけです
なにやら感情的な一行に見えて、無視したくなるかもしれません
こういったものを「なんだ」と構えてスルーしてしまうのが
わたしたちの心の癖みたいなものでしょう
ここでは、スルーしてももう一度たちかえってみて
よくよく考えてみようではありませんか

不満を言う

「不満を言っても〜」とありますが
たしかに、文句を漏らしても、声高に主張しても
自分がミジメかは置いといて(笑)
状況は変わりませんよね、もしかしたら人やなんやかんやで
状況が変わるってこともあるかもしれませんけど
まあ、まわりの人やモノに「ナントカシテクレー」って
言ってる状態です

満足して、求めることをやめる

その前の一文は、何事にも満足する「意識」を持つことで
それ以上、求めないのだから豊かで幸せな気持ちになる
と、言います
これは見過ごされてしまいがちですが
ですからこのように古くから言われることとなるのですが
「満足」してはじめて、わたしたちは求めることをやめるのですね

ということは、不満や不足の「意識」
ここでは心の態度、構え、癖なんて言ってもいいかもしれません
その「意識」でいる限り「不満や不足」はやってくるということですね

自分で、次の自分を

なぜなら、自分自身が「不満や不足」の「意識」でいて
「満足」して「求めることをやめる」ことをしないのですから
これは気づきにくいかもしれませんが、非常に不思議なことです
通常、わたしたちは「不満や不足」があって
外に、まわりの人やものに「求めることをやめない」で生きています
そうでない人たちももちろんおりまして
それを幸福な人々と呼ぶことができるかもしれませんね(笑)

なにが不思議かと言うと
通常、わたしたちは「求めることをやめない」ことで
状況を解決したり、改善したりするような気がしているのです
もちろん、進化発展なんつーのもありますから
そういうのは、「もっとよくしよう」なんていう意識から
「自分も周りもよくなっていくんだ」ということで
つながっていったこともありますね
まあ、こちらが自然な状態のような気もしますが
逆に「不満や不足」が不自然な状態だからこそ
それが目につき、「イヤだ」となるんですね
しかし、再び帰ってきましたが
「わたしたち自身が求めることをやめない限り」
それは続くのであります
どういうことかと言うと

満足して、やめてみる

まず、はじめに「満足」があるんです
「満足」してみる
それが、はじめにあります

「いやいや、満足はアレがやってきてからじゃないか〜
「満足は、お急ぎ便で来るんだよ〜。それを待っているんじゃないか〜」
「なにを言っているんだ!そんなことをしたらやることがなくなるじゃないか!」
まあ、いろんなお声があると思います(笑)
みなさまも、ご自分のお声をちょうだいいたしましてもいいでしょう(笑)
お気づきかもしれませんが、こちらの「先送り満足」定食580円
一生来ないのです(笑)
一度も来ないわけではありませんが、満足を先送りする癖
こちらのお癖がですね、次から次へと注文を繰り返してしまうのです

無限ループ

注文の定食、お品物、出来事やなんやかんや
それらが来ることはいいのです
そして、それらに満足することができれば
尚いいでしょう

しかし「不満や不足」からはじまった「行動」は
次なる行動も「同じように」不満や不足に発します
一瞬の快楽があるかもしれませんが
それは続きません
その快楽が切れてしまうと、また「不満や不足」から
注文をはじめてしまうのです

こちらが無限ループしてしまい
いつ抜けるともしれず、続いていきます
満足しない限り、終わらないのです

やっと終わった、満足した

「え、どういこと?」
「満足したら、抜けるってこと?」
「どうして?満足したら何が手に入るわけ?」

このようにお考えの方もいるかもしれません
とりわけ太字にした部分は、終わらない理由を
端的にあらわしています
「手に入れるが終わらない」んです

もちろん、それが楽しいことなら終わらなくて最高でしょう(笑)
コレクションなんか最たるものですね(笑)
逆に「手に入れるのが、苦しくなったら」
コレクションも潮時かもしれませんね

ここで、いまいちど「足るを知る」に帰ってきますが
満足すること、あるもので十分足りてる「とすること」
で「手に入れなくて済む」ようになるんです
これで「求めてやまない」無限の旅路(ループ)は終わりました
おめでとうございます

「……となると、理屈はわかったけど」
「だから、どうなるわけ」
「そこで時が止まるわけでもあるまいし」
「また買いたいものとか、欲しいものが出てくるじゃん」
「終わらないじゃん、アゼルバイジャン!」

あるもので、満足すると

たしかに、おっしゃることはジュージュー焼肉わかります
しかし、「あるもので、満足した」ときから
行動が変わってくるのです
まずはじめに、もちろん気持ちが変わりますが
あれ、求めないでよかったのか
買わないでよかったのか、欲しがってたけどなくてもいいのか
なんて思い始めて、時間が生まれます
これまで「求めてきた」行動がぜんぶなくなってしまうのですから
いまあるもので、楽しむようになります
持ってたもので遊んだり、いままで目につかなかったもの
気がつかなかったものに、気がついて
新しい使い方を発見して、日常が動き出してしまうんです
「足るを知る」っていうのはこういうことなんです

無限の中に、有限を知る

ああ失礼、逆でしたね(笑)
「有限の中に、無限を知る」でした
わたしたちは既にある状況に満足することで
新しい日常をはじめることができます
お腹がいっぱいになって、もう満足することに似ています
お腹がいっぱいになっても、次から次へと注文しては困ります
困ります、お客様!

だから、言うなれば
これまで「不満や不足」から「求めることをやめない」で
自らの減少傾向を止めることができず
不思議と「ほしいが止まらない」人たちは
「お腹がいっぱいになったことがなかった」のかもしれません
もちろん、比喩ですから食事のことを指しているわけではありません

しかし、腹八分目とも言うように
自分の満足の基準は、自分で決めてもいいのです
ですから、「ここで満足しよう」と思ったら
そこが「あなたの満足」となるのです

無限は、ほしくてほしくてたまらない
求めてやまない中にあるのではないのでした
次から次へと注文した商品が来る
それが無限だと思っていました
しかし、注文せずにも
いまここにある、有限の状況に
無限は眠っているのかもしれませんね

おまけ、募金枠

この記事を有料で区切るのもいかがなものかと
思いましたので、以上でこちらの文章は終わりますが
以下、追加したものはないのですが(笑)
募金枠のような形として、有料エリアを設定させていただきます
ドネーションなんて言いますね
ニューヨークでは美術館や博物館に入るのも
ドネーションでよかったりしました
1ドルで入れて、国の展示物がみれるのだからスゴいですね(笑)

というわけで、今回のお話のようなことも
また機会があれば、書いてみようと思います
それでは失礼いたします

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