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毎日書きつづける意味

毎日書き続けることに意味はあるのか。僕はいまんとこ、あると思う。前はもう少し、書くことに抵抗があった。完璧を求めていたからだと思う。間違ってはいない気がするが、良いものってのは誰が判断するんだ?自分?心意気は尊いが、そんなに自分の判断は正しいのか?結局、何年か前にやってた、はてなブログは、月に1記事。13記事で更新が止まった。時と場所を移し、noteに毎日投稿するようになってから気負うことなく、サラサラ筆(キーボード)が進むようになった。毎日、気負うことなく、何かを出すようになると、まあ、思考の汁が出やすくなりますね。ユーミンは「才能は母乳と一緒」と仰りました。まぁ、僕に才能があるかは別として。あと僕はまぁ、男なので、身体的に共感は出来ないのだけど。妻の母乳を見てきた中で、なんとなく言ってることはわかります。出してるうちは出るし、止めると溜まって、止め続けると出なくなるのでしょう。毎日出してると、毎日出る身体になるのですなァ。品質より、毎日出すという行為自体に、意味があるのだと思います。noteに書き続けて、いつかは大作を…とかゴールみたいなものは、あんまり考えておらず、毎日出してるだけで、僕としては目的を達してる気がします。正しいことをしている気持ちになります。少なくとも、間違ってはいない。村上春樹の主人公が、事件とまったく関係ないこと(パスタを茹でたり、札幌で映画をみたり、ハワイで遊んだり)に何日も時間を費やしてるうちに、物語が急に進展するような。一見、時間の浪費で、本筋と因果関係はないけど、物語的には正しい。現実的には、理解し難い行動だけど、物語的には違和感がない。確信とまでは言わないけど、正しいレールに乗ってる感覚があります。どこに繋がってるのかわからない。でも毎日書くという行為が、少なくとも、ここではない、違う場所に、僕を運んでいるような。感じがあります。毎日書くことによって、いつか、思いもよらないことが、起きるのではないか。バズるとか、物書きの仕事が来るとか、わかりやすい話じゃなくて。一見、因果関係のないことかもしれない。何が起きるかわからない。そんなワクワク感があります。なので、自然と頭から文字が出てくるうちは出し続ける。いつか急に、あるいは徐々に、書けなくなる日が来るかもしれない。でも、それもひとつの物語的な進展なのでしょう。たぶん、書けなくなったときは、僕の人生になにか進展があった時だと思う。その進展は、今やってる、毎日書くと言う行為が、もたらすものなんだ。そんな気がしてならない。です。1070文字

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