気まぐれひとりごと(分かって欲しがり構ってちゃん)
「誰にも分かってもらえない」
「自分を理解されなくて寂しい」
こんなふうに嘆いている人を
ちょこちょこ見かけます。
そのたびに
「自分の何を誰にどう分かって欲しいんだぃ」
と疑問を抱いてしまうわたしは
果たして冷血漢なのでしょうか。
自分のことは自分自身にしか分からないというか
たとえ肉親だとしたって
本当のところを分かり合えないのは
当然じゃないのかなーと思うわけでして。
だって心なんていう
抽象的でとても曖昧なものを
自分のものですらちゃんと理解できているかどうかあやしいのに
自分以外のものなんて
そんなの到底分からんちんじゃない?
それを「分かって欲しい」なんて
めちゃくちゃ難易度の高い要求してくるじゃん?
みたいな。
なんていうのか
なんで「分かって欲しい」っていう欲求が生じるのかなーって
ほんとに不思議なんですよね〜。
自分が自分を理解できていれば
それでいいんじゃないの?
っていうか。
他人に分かって欲しいから
あれこれジタバタするのって
逆に苦しくない?って思っちゃうっていうか
なんかめんどくさいよなーって感じてたんだけど
でもたぶん
そういう人って
誰かに自分を正確に理解してほしいっていうよりかは
「分かろうとして欲しい」
だけなのかなーって。
最近わたしも
ようやくそう解釈できるようになったわけでして。
きっと「分かって欲しい」んじゃなく
「自分のことを分かろうと努力して欲しい」
んだろうね。
正解か不正解かは
わりとどうでもいいんじゃないのかな。
誰かが自分のために熟考して
観察してくれることを望んでて
そうされることによって
極上の愛情を感じたいんじゃないのかしら。
要は構ってちゃんなのね。
みんな他人の中に
自分の存在を感じたいのね。
どちらにしろめんどくせぇっていうか
うん
めんどくさいですね(*´ω`*)
そういうのもぜーんぶ
自給自足しちゃえばなんにもつらくないのに。
「いつも頑張ってる自分偉い」
「素敵な笑顔の自分が好き」
「自分最高。イェア」
このマインドで
つらいことからなんて
ぜーんぶ解放されるのにね。
自分を自分で愛せない人
結構多いんですねぇ。
今日もいちにち、ご無事で何より。