自傷行為常習犯の独白

 私は自傷行為常習犯である。私の肉体は自傷行為によって破壊され、私の精神は自傷行為によって創造される。私という人間を自傷行為を抜きにして理解することは不可能だ。それほど私は自傷行為に依存している。
 思えば生まれてから数年しか経っていない保育園に在籍していた頃から自傷したいという欲求は既にあったと思う。思うように事が進まないなどの小さなストレスが重なる度に血が出るまで爪を噛み、誰かに私の肉体や精神の特異な点を指摘及び否定される度に頭を壁に打ち付けていた。悲しさや悔しさが脳内で入り混じってぐちゃぐちゃになり、自分ではどうしようもなくなった時、他人に当たると決まってトラブルに発展してしまい、周囲に迷惑をかけることになるため、自分自身でこうした感情を処理するために他人を傷つけることのない自傷行為に頼っていたのだ。しかし過労気味の保育士たちにこれらの行為の背景にある私の考えは理解されなく、彼女たちにとって私は粗暴でエキセントリックな園児として認識されていたように思う。
 小学校に入学したタイミングから断続的にいじめを受け、いじめがエスカレートするに従って自傷行為も過激化していった。私の場合、異性である男子児童からのいじめが多く、クラスの人気者的立場にいる男子児童たちから常に目をつけられていた。
 加害者が小学生男児であるだけにいじめは陰口や無視だけで終わらず、殴る蹴るなどの暴力や性的な嫌がらせにまで発展していった。階段から突き落とされて死にかけたこともあった。クラスメイトや教師、家族に助けを求めても軽くあしらわれたため、私はまた自分を傷つける解決法に頼ることにした。
 最初の頃は頭を壁に打ち付けたり自分の頬を殴ったり平手打ちする度に激痛が走っていた。精神的苦痛を身体的苦痛に置き換えることで辛さを発散させていた。学年が上がって「諦め」という概念を学んでからは痛覚が鈍くなったのか身体的にも精神的にも痛みをあまり感じなくなってはいたものの、自傷行為はほとんど毎日儀式的に続けていた。無意識に頭を壁や床に打ち付けたり、皮膚を掻きむしったり、頬を平手打ちし、それらの行為を行わない日は妙に胸部がモヤモヤとしたものである。
 中学校に進学してからも地元の中学だったのでいじめは継続されたが、小学校の時のような暴力はほとんど無くなり、代わりに加害者の男子生徒たちは私の自尊心をズタズタにするような言葉を教師には聞こえないが私や周りのクラスメイトたちには聞こえる程度の声量で言ってくるようになった。私の容姿を貶めたり、私が好きな小説や映画、音楽の内容を否定し、それらの作品を享受する私自身の人格をもけなした。
 しかし私は小学校高学年のうちに無我の境地に自分自身を置くことによって精神的苦痛を回避するという対策方法を導き出していたので、彼らの暴言を無視したり、言われたとしても特段気にすることはないと自分に言い聞かせて何とかその場を乗り切っていた。
 更にこの時期の私は部活動として吹奏楽をやっており、年に3回程行われる大会に向けて日々練習していたため、自傷行為をする時間の余裕も無かった。忙の字は心を亡くすと書くが、この忙しさで心が死ぬという状態はマイナスだけではなくプラスの面に転じることもあると実感させられた中学生時代だった。
 そんな感じで、テストや部活、更には受験勉強に追われて自傷行為のことをしばらく考えない状態を維持しながら中学校を卒業し、第一志望の公立高校へ進学した私であったが、しばらくするとあることがきっかけで昔よりもさらに酷い状況に陥ることになってしまった。
 私の自傷衝動を再発させる引き金となった一番の要因は高校一年生当時の私が在籍していたクラスで副担任を務めていた数学教師との関係性の悪化である。入学初日より私は彼に苦手意識を持ってはいたのだが、ある日の数学Ⅰの授業中、黒板に書かれた問題を答えるように言われたもののなかなか解けない私を見て(問題が分からなかった私にも問題はあるのだが)、十数分間私の人格やこの高校に入学するに至るまでの私の経歴や周りの環境などを否定する発言をした。それからというもの、私はその教師にすっかり嫌われてしまったようで、廊下で挨拶をしても返事をもらえないなどの無視や人格否定発言などを繰り返し受けるようになってしまった。
 そんな状況が1ヵ月近く続いたものの何とか耐えていたが、最初の中間テストが終わった後、私は学校に行くことに強い恐怖感を覚えるようになってしまった。急性中毒を期待してアスピリンを100錠以上飲んだことが家族にバレてからというもの、私は不登校と保健室登校を繰り返しながら隣町の精神科に通院する生活を送るようになった。しかしそのような生活も2ヵ月以上経過すると単位取得が危うくなってしまったので、高校卒業資格は取った方がその後の人生にとっては有利だという両親の説得の下、その後の人生など考えられない状態だった私はもうどうにでもなれというやけくその感情になりながら、家から電車で30分近くかかる距離にある通信制高校に転入することに決めた。
 通信制高校に転校してからも私の自傷行為は続いた。放課後、高校の近くのドラッグストアに立ち寄ってはコデインやエフェドリンなどが含まれている市販薬を買いあさり、オーバードーズしてその余韻で壁に頭を打ち付けたり顔をしこたま殴ったりする日々を送っていた。
 さらにこの時期から私が始めたのがレッグカットである。家族、特にヒステリー気質の母親に自傷行為が露呈することを心配していた私はどんな服装でも基本的には目立たない太ももの部分を切ることにし、ぷっくりと玉状に浮き上がってくる血液を眺めることを至上の快楽としていた。そして、これらオーバードーズ、レッグカットといった自傷行為は高校を卒業して通信制大学に入学した今現在でも続いている。
 以上が私と自傷行為との関係の変遷であり、私と自傷行為が切っても切り離せない関係にあるという理由である。ここまで書いてきたことを見返してみるといかに自分という存在が自傷行為によって形作られてきたのかを思い知らされる。自傷行為は私のアイデンティティを形成する大きな要素のうちの一つだ。私が今現在でもこれらの行為を続けていることはまだ誰も把握していないが、もし誰か他人にバレてこれを続けることを反対されたとしても私は自傷を辞めないだろう。私の肉体は私に傷つけられることによって初めて私となるのだ。

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