鈍感な精神

 トラウマがある。様々な人々から様々なトラウマを今日に至るまで植え付けられてきた。トラウマを植え付けてきた人々の大半は現在関わりを持っていないのだが、一部の人々とは今なお関わりを持っている。その一部の人々には家族や親族といった血縁関係の人間も含まれている。
 母方の祖父は最近事あるごとに私に謝ってくる。私の義務教育時代に受けたいじめに気付いてあげられなかったことを悔やんでいるのだ。私は軽く受け流す。「もう謝らなくていいよ。」と。
 しかし、祖父は気づいていないのだ。過去に孫が一度いじめ被害を訴えてきたことを。そして自分はそれに対して小学生のたわいない遊びの一環なのだからと説き伏せてなかったことにしたことを。そしてそのままその出来事を忘れ去り、私が成人して改めてその話をした時に初めてそのことについて聞いたような反応を返したことを。そして方向性が違う謝罪を繰り返すという祖父の行動が孫のトラウマを益々刺激しているということを。
 私は祖父がこのような反応を返したことに関して祖父を追究しようという意思は全くない。祖父はもう70代後半であるし、祖父が様々な仕事をしてきた上に私たちの豊かな生活が成り立っていることを知っているからだ。先に述べたことについて祖父は知らない方がいい。いや、知るべきではない。鈍感な精神を持つ人間にセンシティブになれと言っても意味がない。もしセンシティブになったら彼は死ぬだろうから。この世の中は鈍感な精神を持つ者のみが生き延びられる。それを私はみをもって知っている。
 だから謝罪を続ける祖父に対して私はこう言い聞かせるのである。
「もう謝らなくていいよ。」と。

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