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神社が向く方向の意味を知る

神社の向く方向

鳥居の向く方向

神社を一つのエネルギーシステムと見る時、神社が向く方向と言うのは大きな意味を持つ場合が多々あります。

以前に公開した記事にあるようなエネルギーライン。

他にも有名なレイライン神社等では、夏至の日、冬至の日に太陽の光が一直線に鳥居を通り本殿まで通るような作りをしていたりします。

このように神社を作る際にエネルギー構造の要(かなめ)として「方向」をメインに考えている神社と言うのは多くあります。

これは、特別に有名な神社ではなくてもです。

逆に言えば有名でなくとも「良い神社」と言うのは探すと、思うよりも身近にある。

特に八幡神社や、諏訪神社、稲荷神社など「どこにでも」あるような神社では、その部分を見逃されがちです。

例えば神奈川県横須賀にある「大津諏訪神社」

鳥居から拝殿、本殿までの真っ直ぐな参道がとても気持ちが良い神社です。

ですが、神社が向く方向として珍しく「西を向く」拝殿や本殿。
これは何か意味があるのでしょうか?

参拝してみるとわかるのですが神奈川県の神社なのに、長野県諏訪地方と同じエネルギーの匂いがしてきます。

神が同じならエネルギーの種類も同じだから当たり前だろうと思われるかもしれませんが、同じ「匂い」がするという事は今回の場合「諏訪大社」のある「長野」と同じ土地にある。言わば本社の「諏訪大社」に参拝している感覚になります。

これは「大津諏訪神社」を調べてみると出て来るのですが体裁としては「地元の鎮守」ですが、恐らく元々の創建に関わった人間が目指したのは「地元の鎮守」ではなく、諏訪大社そのものですね。

この類(たぐい)の思想が入っている神社は大抵の場合、その本社や本宮がある地域から何かしらの理由で流れてきた人達もしくは、諏訪の神様と縁が深い民族が作った神社という事です。

単純に、遠くにある立派な神社を自分達が済む地域にも造ろう。って事で造られた神社とは少し違います。

そして今回、これが諏訪大社の話になると複雑にもなり話も長くなるので凄くザックリになりますが「諏訪大社」の祭神は有名な「建御名方命(たけみなかたのみこと)」という事になっていますが。
建御名方命(たけみなかたのみこと)自体は、諏訪地方に「後から」入って来た神です。
実際に諏訪大社が祀っていた神は、「みしゃぐち(みしゃぐじ)神」と呼ばれる謎の神であるのは最近では有名ですね。
諏訪地域の人は諏訪大社の神を建御名方命(たけみなかたのみこと)」と言う人は、ほとんどいません。(最近の人は知りませんが、十年くらい前はそうです)

この「みしゃぐち(みしゃぐじ)神」は、諏訪の地主神として出雲の国譲りの時代に「建御名方命(たけみなかたのみこと)」が諏訪に入って来る、はるか以前より祭祀されていた神です。神体として「守屋山」と同体(同じ存在)とされて来た痕跡から「自然神」出自の古い神であろうという事が見てとれます。

そして「大津諏訪神社」の創建には「建御名方命(たけみなかたのみこと)」を中心に考えた作りでなく、とても「みしゃぐち(みしゃぐじ)神」「守屋山」を意識した造りになっています。

そして一番最初の話に戻りますが。鳥居の向き拝殿本殿の向いている方向が、ほぼ真っ直ぐに守屋山へと相対しています。

これが大津諏訪神社は何故「西を向いているのか?」の回答になります。

そして「諏訪大社」ではなく「諏訪湖」でもなく「守屋山」を真っ直ぐに向いているという事は「大津諏訪神社」を創建した人間は「諏訪」という土地のエネルギー構造を完全に理解した人間達という事です。

これが単純に「建御名方命(たけみなかたのみこと)」を勧請した「諏訪神社」ならば諏訪地方と同じエネルギーにはならなかったでしょう。

またエネルギーの引き込みも上手く、諏訪大社の方でエネルギー引き込みの祭祀を恐らくしていて。
それと共に御柱祭などをしたり、諏訪大社の氏子さん達を招いて祭祀をしたりして「繋がり」を強く意識しています。

各地に沢山「何々のお諏訪様」と呼ばれる神社は沢山ありますが「大津諏訪神社」は、その中で本当の意味で「お諏訪様」と呼ぶにふさわしい「諏訪神社」ですから首都圏の方で長野に行くのは遠いなーって人は足を運んでみるのも良いと思いますよ。
諏訪の匂いを、きっと感じられます。

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