18.夏休みの終わり

 気がつけば、明日で夏休みも終わり。子ども達にとって、長いようであっという間だった。
 パルナンは、朝から虫かごをぶら下げて森へ出かけようとしていた。
「あら、パル」ゼルジーは声をかける。「その虫かご、いっぱいじゃない。空のはなかったの?」
「虫かごならほかにもあったよ。今日はこれを持っていくんだ」
「でも、それじゃいくらも捕れないじゃない。なんで、それを持っていくわけ?」
「捕りに行くんじゃないよ。放しに行くんだ」パルナンが答える。
「まあっ、どうして? せっかく捕まえたのに。それに、あんなによろこんでいたじゃない」ゼルジーには、さっぱりわけがわからなかった。
「ぼく達、明日帰らなくちゃならないだろ? よくよく考えたんだけど、ロンダー・パステルへ連れて行ったとするよ。でも、それはカブトムシにとって、あんまりうれしくないんじゃないかって思ったんだ」
 ゼルジーは、パルナンが急に大人になったような気がした。夏休みの間に、なんて成長してしまったんだろう!
「明日で夏休みも終わりなのね。そして、ここでの楽しかった暮らしともお別れなんだわ」ゼルジーはふいに、いいようのない寂しさを覚えた。
 パルナンを見送ったあと、ふらりと庭に出て花壇のそばにしゃがみ込む。ソームウッド・タウンへやって来たとき、真っ先に眺めたのがこの花々だった。
 垣根の向こうから、リシアンが現れる。
「ゼル、あんたって本当に花が好きなのね」
 ゼルジーは立ち上がり、懐かしそうにリシアンの顔を覗き込んだ。
「ああ、リシー。わたし達、初めて出会ったときも、こうして向かい合ったっけ。あれから、もう何年も経ってしまった気がしてならないわ」
 リシアンもぱっと記憶が蘇り、一瞬、あの日の夕方が目に浮かぶ。
「あんた、明日には帰ってしまうのね。せっかく親友になれたのに、分かれるのはつらいわ」
「ねえ、リシー。前に行ったところ、もう1度歩いてみない?」ゼルジーがそう提案する。
「懐かしい色々な所ね。いいわね、ゼル。思い出を噛みしめながら回りましょうよ」
 2人はまず、ウィスターの森の桜の木へと向かった。ここは、リシアンの秘密の場所だったが、ゼルジーに打ち明けた大切な場所でもある。
「あの小山、覚えてる? 一緒に登ったわよね」ゼルジーは木々の間に見える、小高い丘を指差した。
「もちろんよ、ゼル。あんた、すっごく愉快な空想をしてくれたじゃないの。1歩登るたんびにわたし達、少しずつ縮んでいったわよね。それで、いつまで経っても頂上にはたどり着けないんだった」
「わたし、あのまま永遠に登り続けなければならないのかと、本当に心配だったわ。てっぺんに、何か素晴らしいものが隠されているんだと思うと、なおのこと登りきりたかったんだもの」
「でも、鳥になって、無事に行き着いたわ。そのアイデアを出したのもあんただったわよね」リシアンは記憶の映像に焦点を合わせようとするかのように、目を閉じる。
「リシー、あなたはあの小山の上にお城があるって空想してるんだって、言ってたでしょ? ほんの少しの間だけど、わたしにも見えたのよ、そのお城が」ゼルジーも目をつぶった。つかの間、ひと月半前のあの日に戻ったような気がする。
 やがて目を開いた2人は、どちらともなく小山目指して駆け出した。魔法はもう、すっかり解けていて、あっという間にてっぺんまでたどり着いてしまう。
 そこには、以前見つけたタンポポが綿毛をまとっていた。
「ああ、リシー。『幸せのタンポポ』を再発見したわ」ゼルジーはしゃがみ込む。
「あのとき摘まなくて、本当によかったわね。わたし達、自分にもう1度幸福を与えたことになるんだわ」タンポポを見下ろしながら、リシアンも感動に声を震わせた。「いつもならタンポポの綿毛を見つけると、ふうっと息を吹きかけて飛ばすんだけれど、今日だけはやめておくことにする。このタンポポは特別なんですもの」
 ゼルジーとリシアンは周囲の景色を黙って眺める。
 次に訪れたのは杉林だった。林に入ってすぐのところにある、人の背ほどの岩の前で立ち止まる。この岩は、ウィスター家へ続く目印となっていた。
「あんた、この岩が、大昔、旅人がそのまま行き倒れて岩になった、なんて言ったわよね」リシアンが懐かしむように言う。
「そうよ。いまもそう思うわ。でも、あなたを怖がらせてしまったっけ」ゼルジーも思いだした。
「あのときはとても気味悪かったわ。それがどう? もう怖くもなんともないの。不思議よね」リシアンは心から言う。ここを通るたび、リシアンはゼルジーのことを思い出すに違いなかった。
 川沿いを歩き、浅瀬までやって来る。
「ここでは、さんざん苦労して向こう岸まで渡ったわよね。実際には、らくらくまたげる石段だけど」とゼルジー。
「両脇は断崖絶壁で、急流だったっけ。空想だとわかっていても、途中で怖くてたまらなくなっちゃった」
「また、渡ってみましょうよ」そう言うなり、ゼルジーは岩をぽんぽんと飛び越えていった。
「ああ、この岩だわ。わたし達が川の主に出くわしたのは」リシアンは、最後の岩の上で立ち止まる。「本当はただのウグイだったけれど、空想の中では、とてつもなく大きかったなあ」
「あなた、もう少しでぱくりと食べられるところだったじゃないの」ゼルジーが笑った。
「そうよ、かかとのところに触れたの。空想を抜きにしても、ぞっとしちゃった。いまは、うちの庭でのんびり泳いでるんだけどね」
「ねえ、リシー。ここまで来たんだから、ついでにウィスターさんのところへ行ってみない? わたし、お別れを言っておきたいの」ゼルジーは言った。
「いいわ、道路建設がいつ始まるのかも聞いておきたいし」
 家の戸を叩くと、前のときのように、どたばたと足音がしてウィスターが現れる。
「おんや、ストンプさんとこのリシアンと、それにロンダー・パステルから来た、えーと……」
「ゼルジーです」ゼルジーは再度、名乗った。
「うんうん、そうだった。ゼルジーだったっけな。よく来た、よく来た。ささ、中に入って冷たいオレンジ・ジュースでも飲むといい」ウィスターは朗らかに笑いながら、2人を招き入れる。
 テーブルに掛け、冷たいジュースの入ったコップを前に、ゼルジーとリシアンはまたしても懐かしさで胸がいっぱいになった。
「あの日も暑かったっけ。オレンジ・ジュースが喉に染みたわ」ゼルジーは言う。
「何もかも過ぎ去ってしまったけれど、このジュースの味は変わらないわ」リシアンはコップに口を付けた。
「ウィスターさん、わたし、明日帰ってしまうんです」ゼルジーは、つとめて元気な声で告げる。
「おお、そうかね。そうだなあ、もう夏休みも終わりだからな。前に来たときは生っ白い顔をしておったが、すっかり健康的になったよ。いい思い出ができたろう」ウィスターは、うんうんと首を振るのだった。
「あの、ウィスターさん」リシアンは思いきって尋ねてみる。「森に道路が出来るのって、いつ頃なんですか?」
「ああ、あの話かね。そうさな、来月には測量をして、うまく検査に通れば冬頃から工事が始まるだろうて」
 それを聞いて、2人は思わず顔を見合わせた。
「やっぱり、森はなくっちゃうんだ」ゼルジーがつぶやく。
「わしも寂しいんだよ。なんつっても、ちっさい頃から慣れ親しんできたもんでな。手伝いでも雇えりゃ手放さなくてもすむんだが、そんな金はないしなあ」
 ウィスターの息子ブレアスは、都会へ働きに出ていた。年老いたウィスター1人では、農場をやっていくのにも限界を感じていたのだ。
「せめて、あの桜の木だけは残すわけにはいかないのかしら」リシアンが口に出す。
「そいつは無理だろうなあ。沼を埋め立て、辺りをすっかりコンクリートにしちまうんだからな」ウィスターは答えた。
 ウィスターの家からの帰り道、ゼルジーとリシアンはしょんぼりしながら歩く。
「『木もれ日の王国』だけは、なんとか救いたかったわね」とゼルジー。
「でも、魔王を倒す方法もわからないし、明日はあんた、ロンダー・パステルに帰ってしまうんですもの、とても無理ね」
「休みが、あと1ヶ月あったらなあ!」ゼルジーは、それこそ空想よりも難しい注文を投げかける。
「そうなったら素敵なことでしょうね。だけど、空想は決して本当のことにはならないものよ」いっぽう、リシアンはこの点についてはたいそう現実的だった。

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