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スイスに住むつもりがドイツへ Statt in Deutschland wollte ich eigentlich in der Schweiz wohnen

2001年、ドイツではなく、予定ではスイスでオーペアとして滞在するはずだった。
ドイツに住むなんて全く考えてなく。
人生、思いもよらない方向に進むこともあるのだ(私は人生の岐路という岐路で必ずオチがある💦)。

1996年。1年間のイギリス留学を経て、福岡で就職し、私は忙しい日々を送っていた。
英語も生かせられる仕事で、やり甲斐もあり、尊敬できる上司と同僚に恵まれていたけれど、多忙を極める毎日で4年経った頃、疲れ果ててしまっていた。
そんな中、“またヨーロッパへ行きたい!“という想いがどんどん強くなっていった。

イギリス留学中に出会ったスイス人の友人に、仕事のことや、またヨーロッパへ行きたいことなどを話したら、息子の面倒を見てくれたら助かるし、半年くらい休憩しにスイスに来たら?と提案された。
スイスは何度も訪れていて大好きな国だし、ほとんどの人が英語を話すので住むにはそんなに問題ない。
上司に相談したら、戻ってきたらまたここで働いていいから!とも言っていただけて、心は決まった。

でも、考えていくと、友達家族と一緒に生活するのは大丈夫か?
と思うようになり、今までのような良好な友人関係を保つには、やはり別々で住んだ方がいいのでは?と思い直してきた。

その時、イギリス時代のことを思い出し、

オーペアビザがある!それで行こう!

と決め、スイスの友人にもわかってもらえて、ホストファミリー探しを開始。

仲介業社を通さず、どのサイトだったかもう覚えてはいないけれど、スイスのオーペアサイトを見つけ出し、直接登録(英語)。
日本人のオーペアを必要とする家族があるのか?
は半信半疑だったけれど、登録して間もなく、あるホストファミリーからメールが!

ベルンから電車で2時間ほどで行ける山中の村ミューレン


シングルマザーで3人の子供と一緒に暮らしているチューリッヒに住むスイス人。日本食が好きで、自分で豆腐を作るよ!お味噌汁が好き!だとか、家族のことも色々と書いてきてくれた。子供達との写真も送ってきてくれて、それがまた素敵な写真で。
スイスのベルンに住んでいる友人に連絡したら、そのお母さんとコンタクトを取ってみる!と言ってくれて、お願いすることに。
電話で話した感じもとても良かったらしく、友人からそれを聞いてすぐに、この家族に決めた。
そのお母さんも大喜びで、それからまめに連絡を取り合い、お互いのことを書き合ったりしていった。

私をオーペアとして迎えることに関しての申請は、スイスの家族が手続きしてくれて、私自身がスイス大使館とやり取りはしなかったと思う。

受け入れ先があるのだから、必ずスイスに住める!

と何も疑うことを知らなかった(おバカな)私は、職場に退職する旨を伝え、住んでいたアパートも解約手続きをし、スイス人のドイツ語の先生に集中的にレッスンしてもらい、オーペアとしての準備に努める。

スイスの首都ベルン

でも、結果は、スイスは私にオーペアビザをくれなかったのだ。。。。

受け入れ先のお母さんもベルンの友人もあの手この手でどうにかならないものかと、スイスの役所に問い合わせて、結果は変わらず。
外国人の受け入れが厳しいスイスで、日本はその当時、外国人受け入れレベル?でCレベル。
よっぽどの理由がないとビザをもらうのが厳しかったのだ。

その頃私は、約2ヶ月後に仕事も辞めることとなっていて、アパートも解約手続き済。

しばらく途方にくれていたそんな私のところへ一通のメールが。

それは、ミュンヘンに住むある家族からだった。
お父さんが日本人のハーフで、一人娘(当時10ヶ月)に日本語で接してくれるオーペアをずっと探していた!!やっと見つけた!!とのこと。
当時、日本人でオーペアをする人はほぼ無く、スイスのサイトで私を見つけ歓喜したらしい。
お母さんは、ドイツ人とニカラグアのハーフで、その頃は1年後に卒業を控えた大学生。

ドイツはスイスの隣国で、チューリッヒからミュンヘンは電車で4時間の距離。
シュタイナー教育に興味があったからドイツという存在を知っていたけれども、ドイツに住むなんて全く考えておらず。フランス、イタリア、スイス、イギリスに友人はいても、ドイツは誰も何も知らない。

でも、もうすぐ家も仕事も失う私は、この家族に身を委ねることに。

お父さん(武さん)が日本人で日本人のオーペアの必要性があったからかもしれないけれど、物事はスムーズに進んだ。
武さんと電話でコンタクトを取り続け、1年だけのミュンヘン滞在と決め、初めてコンタクトをくれた数ヶ月後の11月、私はミュンヘンへ。

ミュンヘンの中心地 マリエン広場

オーペアビザの申請手続き等は、武さんたちがもう整えていたので、到着した翌日、市役所で住民登録等を済ませ、晴れて正式に1年間の滞在が認められたのでした。


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