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【小説】面影橋(二十二)

 「師匠、どうしちゃったんです?」。久しぶりに会ったてっちゃんの目にも私はすっかり荒んでいるように見えたようです。「ドイツ語が全然できなくてヤバいんです~」と、ドイツ語の参考書を借りに来た日のことでした。てっちゃんは大学院への進学を考えているとのことで、私にアドバイスを求めてきました。「動機ですか?モラトリアムみたいな?師匠を見てて、徒然なるままに日暮らし、好きな本を読んで好きな勉強をして、世捨て人みたいでいいなあっていうのもあるし」。実際は学問を続けることにすっかり絶望していました。何事にもすぐ絶望するネガティブな性分ではありますが、ただ現実問題として、職業としての学問ということを考えた場合、今の時代、お先真っ暗であることは間違いありません。特に文系、その中でもとりわけ人文科学系ということで言えば。文学部廃止論とか、マジで勘弁してほしいです。いくら文学部の意義に懐疑的になっていても、そんな暴論に与するわけにはいきません。人文・社会科学を狙い撃ちした研究費削減と少子化の進展で就職先は先細り、運良く見つかったとしても身分が極めて不安定な非常勤がせいぜい、いつまで経ってもバイト地獄から抜け出せません。ポスドクと呼ばれる何人もの先輩たちの末路としかいいようのない悲惨な境遇を目の当たりにしてきました。世間ではつぶしのきかない高学歴ニートとか揶揄、嘲笑されていますが、実際は皆、学識、人格とも申し分なく、尊敬に値するインテリでした。知性の不遇への義憤。今、この国の大学で起こっていることは人文知や教養主義に対する虐殺である、この国を覆う反知性主義を糺す!――そんなこんな、自分の知見を淡々と述べていたつもりが、いつの間にからしくもなく力が入っていたようです。自身の能力不足や意志薄弱へのエクスキューズに過ぎませんが。人と話すのが久しぶりだったこともあり、ついつい憑かれたような大演説になってしまったのでしょう。
 「師匠、本当どうしちゃったんです?もしかして病んでたりします?」。てっちゃんは私の紋切型の悲憤慷慨に引き気味で、話題を他に移しました。面影橋の近くで起こったらしい交通事故の話でした。私もコンビニに朝食を買いに出た時に、といっても昼過ぎのことですが、警察が現場検証をしているのを見かけました。てっちゃんは事故をバスの中から目撃したそうです。「反対車線からで距離はあったんですけど、若い男の人がポーンってサッカーボールみたいに跳ね飛ばされて。あんなの見たの、初めてですよ」。人と一緒にいるのって、それだけで結構なエネルギーを使うものなのだなと、久々の感覚に少しぼおっとしていたようで、てっちゃんはそんな私の様子から察するものがあったのでしょうか、一言言い残すとそそくさと部屋を後にしました。「ところで、びっこの貴公子、元気にしてます?」。

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