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優等生が勉強しなくなった訳

私は生来「ちゃんとやらなくちゃ……!」という思いこみが強い人間で自分で自分を追い詰めたりすることが多々ある。

高一の時もそうで、どうすれば点数が上がるのか分からないまま積み上がっていく大量の宿題とできないことだけを突きつけられ続けるだけの日常を前に私は疲れきっていた。

家に帰ると行き帰りのたった30分の通学だけで肉体が疲れていて、ついでに言うといろいろ詰め込みすぎた頭も疲れきっていた。だから帰ってからすぐ休み、頭を娯楽漬けにすることで休め、休んでいる間に夕飯と入浴という日常をこなせという母の令が下り、疲弊しながらそれらをこなし終わったところで力尽きていた。勉強なんかやる気も暇もなかった。私にとっては。

そんな毎日を繰り返しているうちに、私は虚ろな目をして日々「死」と見つめ合うようになり、そんな頃、陽キャちゃんが視界に入ってきた。

その陽キャちゃんというのはクラスでも主要な人物で明るく面白く、時には不機嫌な教師の機嫌をとるために上手く空気を和ませたりするような人間だった。私はただ、すごい、と思った。私にはそんなことはできないし、あの子は輝いている、と。

更にそれだけではなかった。というのも、彼女は気配り上手ではあったけれど、優等生では無かったのだ。成績優秀という訳でもなく、よくサボり、先生に呼び出しをくらっていた。なのに毎回悪くいうとへらへらしててこんなのへっちゃらだぜ!という顔をしていた。私にはそれが驚きだった。

当時の私は成績が伸びないものの赤点だけは取らないように、と必死に頑張るだけで精一杯でそのことで頭がいっぱいだった。落第したらどうしよう、怒られたら。でもそんなことはどうでもよかったんだ。彼女をみて、私は気づいた。いや、気づいてしまったと言うべきか。でもそのおかげで死ななかった訳だし、死なないことが良いとされるこの世界では肯定されるんじゃないでしょうか。

それから私は一切勉強をやらなくなった。あえて手抜きをしまくった。それには過去の自分像を壊すのが気持ちよかったという気持ちもあるだろう。陶芸作品を机に向けてぶち壊すくらい気持ちよかった。私はいつの間にか「勉強のできる自分」という自分がつくりあげてきた自己像に縛られていたのだ。

陽キャちゃんは恩人だ(書くのに飽きた)

話は変わるがこれで中受を否定する人が出そうなので以下を置いておく。肝心なのは子供の性格にあった学校選びである。

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