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夢のような運命のふたり

 彼は眠るのが好きだ。好きになった。昔は夜を徹して、眠る時間さえ惜しんで遊んでいることもあったが、今ではそんなことはない。できるだけ早くベッドに潜り込むことだけを考えている。とはいえ、彼の仕事は夜勤の警備員で、彼の眠る時間というのは普通の人とは真逆の昼間だけれども。
 ここ最近、彼は毎日同じような夢を見るようになった。ある女性の夢だ。夢は必ずその女性の起床で始まる。清潔なベッドから身を起こし、朝の身支度をする。朝食を済ませ、朝の街の流れに乗って職場へ向かい、一日仕事をして帰宅する。そして決まって夢の終わりは彼女の就寝である。彼は彼女が眠りにつくのを見届け、彼女の寝息を汐に目を覚ます。彼が目を覚ますと窓の外はもう真っ暗、夜中だ。そして彼は身支度をして職場に向かう。
 最初、彼はその夢を、妙な夢だと思った。ある女性の一日を全て観察する夢なんて妙な夢だ。それに、なんだか出歯亀にでもなったような気がして気分が良くない。残念ながらというか、彼は窃視趣味を持っていなかったのだ。それでも、毎日夢に彼女を見ると、彼の中にも次第に彼女に対する愛着のようなものが芽生えだした。別段器量がいいわけではない。まあ人並みだろう。しかし、彼にとってそんなことは重要ではないのだ。不機嫌な時に下唇を噛んだり、ペンの持ち方がおかしかったり、そんな些細な、仕草だったり癖だったりが愛しいのだ。それで、彼は眠りを心待ちにするようになったのだ。
 彼の夢の中の彼女には悩みがあった。非常に早く、まだ夜もさほど更けないうちに眠たくなってしまうのだ。彼は彼女が同僚にそう言うのを聞いたし、食事に誘われた時にそう言って断るのも耳にした。一度夜に外食したのだが、その途中に眠ってしまい、結局朝まで目を覚まさずに、周りに大変な迷惑をかけたというのだ。だから、彼女は仕事が終わると真っ直ぐ家に帰る。夕食を作って、風呂に入り、そして床に就く。
 彼女は夢を見る。毎夜同じような夢を。ある男性の夢だ。彼はどうやら夜勤の警備員をしていて、普通の人とは真逆の生活をしている。普通の人が眠る時間に起きて、普通の人が起きる時間に眠る。夜のビルは不気味なくらい静かで、彼女はもし自分一人がそこにいなければならなかったらと想像してみてぞっとする。夢では必ず彼がいるから、大丈夫なのだ。彼は静寂にも闇にも動じたりしない。考えてみれば当たり前、なにせそれが彼の仕事なわけだから、だが、彼女はそんな彼を頼もしく思う。定時に見廻りをする以外は宿直室に控えている。彼はいつも本を読んでいる。実はそれは服務規定違反なのだが、彼の同僚などは居眠りしていたりするくらいなのだ。彼の読む本のタイトルは、彼女が初めて見るものばかりだった。難しそうで、彼女が絶対に手に取らないであろう題名の本。そうして時折見廻りをし、彼は一夜を過ごす。朝が来れば、彼は足早に帰宅して、シャワーを浴びて床に就く。そして、彼女は彼が眠りにつく瞬間、彼の寝顔を見て目を覚ます。そうして彼女の一日が始まる。また夜、夢の中で彼に会えるのを心待ちにしながら過ごす一日が。
 最初、彼女はその夢が嫌いだった。むさ苦しい男の一日など退屈だし、なんだか自分に他人の生活を盗み見たい無意識の欲求があるような気がして嫌だったのだ。だが、毎夜彼を見ているうちに、本当にむさ苦しい彼だけれども、なんだか愛着が芽生え始めたのだ。いつもまとまらないクセっ毛や、本のページをめくる時の指の動きなどに。
 彼女は彼が眠りを心待ちにしているのを知っていた。夢の中、彼は真っ直ぐ家に帰り、一瞬でも早く眠りにつこうとする。よっぽど疲れているのだろうと彼女は思っていた。だから、彼の寝顔を見ると彼女はホッとした。できることなら、その無精髭の生えた頬に口付けしたいと思ったが、それは夢の中で、叶わぬことだった。彼の寝顔を見ると、彼女は目覚めてしまうから。
 彼が眠っている時に彼女は起きていて、彼女が眠っている時に彼は起きていた。
 そんな運命の二人の話。


No.227

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