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巨人たちの絶滅について

 むかしむかし。
 かつて、この地上には巨人たちがいた。その天を衝くような巨体は、人類では到底及ばない怪力を持っていた。人類では十人がかりでも動かせないような巨石も、巨人は片手で軽々と持ち上げることができた。人類では何年もかかるような森の開墾も、巨人の手にかかれば草むしりみたいなもので、一晩で終わるほどだった。それほどの力の持ち主である巨人たちである。彼ら巨人たちが、地上の覇者となっていておかしくないはずだった。
 ところが、言うまでもなく、現在この地上を歩く巨人はいない。彼らは人類に駆逐されたのだ。その最後のひとりまで死に絶え、絶滅したのだ。強大な力を持っていたにもかかわらず、なぜそんなことになってしまったのか。それは、巨人たちは頭を持たなかったからだ。
 彼らの持っていたのは、巨大で凄まじい力を持つ身体だけで、首から上には何も無かった。ものを考える頭を持たなかったのだ。そのために、巨人たちは何も考えられなかった。
 巨人に代わって、ものを考えたのは人類だった。人類はひ弱な身体しか持たなかったが、ものを考えることができた。そこで、巨人たちに代わってものを考え、何をなすべきかを指し示したのだ。寒さを防ぐ方法を教え、暑さをやり過ごす工夫を示し、火の起し方を教え込み、治水を考え、巨人の手でそれを実現したりした。それは共存共栄の見本と言っても良かった。巨人たちは人類の導きに感謝した。自分たちだけだったら、寒さに凍え、暑さに焼かれるがままに焼かれていただろう。生の肉を食べ、煮ていない木の実を固いまま噛み砕いていただろう。せっかく作った寝床が水浸しになるがままにせざるを得なかっただろう。それらは人類の善導があったからこそなのだ、と巨人は人類に感謝した。人類が感謝せよと巨人たちに指示したから。もちろん、人類たちもその巨人たちの力のもたらした様々、自分たちの力では不可能であったであろう大きな家や、開墾、治水、猛獣の駆逐や、山を切り崩すような地形の変更、果ては島を作り出すようなことまで、巨人の力を使って成し遂げ、そこから自分たちの生活の向上を引き出したのだった。しかしながら、人類は巨人たちには感謝しなかった。巨人たちが自分たちに感謝せよとは言わなかったし、そもそもそれらの達成は自分たち人類の考える頭があったからこそであり、むしろそれは自分たちの達成なのだと考えたからだ。
 こうした時代が長らく続いた。それはそれなりに良き時代であったと考えることもできるだろう。ふたつの異なる種が互いに助け合うのだ。美しいではないか。
 といっても、人類にとって巨人は巨人で、あくまでも他人である。他人のことを考えるのは難しい。それがその他人のためを考えるとなるとなおさらだ。
 結局、人類は巨人を思うがままに利用した。人類がなぜそんなことをしたかと言えば、巨人たちが思うがままに利用されても、それを拒否することをしなかったからだ。もしかしたら、自分たちが思うがままに使われていることに気づいていなかったのかもしれないが、それを教えるような親切な存在は存在しなかった。そうして、巨人たちは人類同士の争いに使われ、その争いで多くの巨人は命を落とし、ついには絶滅してしまったのだった。
 それについて、人類が心を痛めることはなかった。巨人には考える頭が無かったが、人類には心が無かったからだ。
 めでたしめでたし。


No.368



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