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未必の故意

 長い長い列に並んでいたわたしは、ふと自分の死んでいることを思い出した。うっかりすると忘れてしまいそうになるのだが、わたしは死んだのだった。忘れそうになるのは、それがあまりにも些細な、もちろんそれを通り抜けたあとだからこんな風なことが言えるわけだが、非常に些細な出来事だったからだ。生と死を分けるものなど無い、というのは言い過ぎにしても、ほとんど無いと言っても過言ではないだろう。その二つの状態にある違いといえば、死んでいるかどうかだけだ。死んでいる者は死なない。なぜならすでに死んでいるからだ。それ以外に、生と死を分かつものは何も無い。
 死んだわたしは、列に並んでいる。わたし以外の、行列を作っている者たちもまた死んでいる。わたしたちは、裁きを待っているのだ。生者が罪を犯せば裁きを受けるように、死者もまた裁きを受けなければならない。生前に犯した罪を清算しなければならないのだ。そうしてやっと、のんびりと死んでいることができるのだそうだ。場合によっては、輪廻転生、もう一度生まれるということもできるらしいが、それは任意制らしい。義務でないのなら、わたしはのんびりと死んでいることを選ぼうと思っている。とはいえ、その前に裁きがあるのだ。その裁きによっては、罪を購わなければならなくなるだろう。しかし、わたしにどんな罪があるだろう。平々凡々な人生だった。山もあったし谷もあったような気もするが、そんなもの見る人が見れば山ではなく丘であり、谷ではなく盆地であっただけのような気もする。ゆるやかな上がり下がりがあっただけ。大層な罪など犯していないというか、犯せるはずがない。そんな大それたことができるような人間ではなかったのだ。
 それにしても、随分と長い時間待っているように思う。毎日多くの人間が様々な理由で死ぬ。そのすべてが裁きを待つのだ。それに、ここは完全な人手不足のようだ。どれくらい待っているのか。一時間や二時間ではない。三日か四日だろうか。いや、一年も二年も待っているようにも思える。もしかしたら、数百年待っているのかもしれない。死んでいると、二度と死ぬことはないものだから、時間の感覚というものがひどく曖昧になる。極端なことを言えば、無限の時間が与えられているのだ。焦ることもなければ、急ぐこともない。腹が減るわけでもないし、眠くなるわけでもない。限りない時間なのだから、そうしてせかせかすることはないのだ。いつまでだって待つことができる。こうしてみると、生きているよりも死んでいる方が優れているような気がしてくる。
 そうして、長い時間待ったあと、ついにわたしの裁かれる時がやって来た。一応、閻魔大王のようなものを想像して覚悟していたわたしとしては、拍子抜けとしか言い様の無い役人風の小男が裁きを下すのだという。
「ふむ」と小男はわたしに関する資料なのだろう、紙の束をめくっている。わたしは黙って小男の裁きを待つ。「どうもあなたはひどく浪費をしたようですな」
「浪費ですって?」わたしは驚いて尋ねる。慎ましやかに生きてきたわたしである。
「ええ」と小男は頷く。「あなたは化石燃料で走る機械を走り回らせ、化石燃料で発生させた電力で夜を照らしましたね。それがどれ程の浪費だったか、あなたはわかっていたはずです。化石燃料は限りあるものでした。あなたが無駄に使ったことで、あなたのあとの世代の人々は大変困りました。あなたの浪費のせいで、どれくらいの人々が生きられなかったかわかりますか?」
「ちょっと待ってください」わたしは焦って言った。「一体なんのことです?浪費だって?わたしは質素に生きてきたつもりです。浪費なんてしていない」
「あなたよりも前の世代の誰よりも、あなたは浪費をしています。確かに、あなたの周りの人々と比べればかわいいものかもしれませんが、それでもあなたが浪費したという事実に変わりはない。そして、あなたはそれが引き起こす事態をわかっていたはずです。あなたが使えば、あとの世代は使えない。そうなることをあなたはわかっていたはずです。そしてまた、あなたが使ったものによって排出された温室効果ガス。微々たるもの?塵も積もれば山となるという言葉を知りませんか?あなたには自分よりもあとの世代に責任があった。しかし、あなたはそれを果たさなかった。よって、あなたの罪は重い」
「ちょっと待って!」
 かくして、わたしは地獄で責め苦を味わうことになったのだが、死んでしまっていれば、苦も楽もないもので、別に苦ではない。


No.303

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