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真夜中

 真夜中に目が覚めて、そのまま寝付けなくなったので、隣で寝息を立てる妻を起こさないようにベットを抜け出した。床がひんやりと冷たい。ぼくは台所に行き、コップで水を飲んだ。蛍光灯がチカチカしていた。
 ぼくは妻をとても愛している。それなりに長い付き合いだから、出会った頃と同じように、とは正直いかないし、結婚し、共に暮らすようになり、お互いの些細な癖や、習慣に苛立たなかったと言えばウソになる。あるいは、そういう思いをグッと飲み込んだことも一度や二度ではない。しかしながら、そういうあれやこれやを、時間や、互いの育った環境、身に沁みついた習慣の違いに起因する相違も、すべてとは言わないまでも乗り越えてきた。それはひとえに愛のなせる業だろう。ぼくは間違いなく妻を愛している。愛しているからこそ、隠し事もない。基本的には。
 愛しているからこそ、隠し事をすることもある。無駄に心配させてしまうであろうことは、妻に隠すことにしている。妻は心配性なたちで、彼女が狼狽するであろうことは明かさないようにしているのだ。もちろん、それすらも包み隠さずに分け合うことこそが本当の愛だという意見もあるかもしれない。確かにそうかもしれない。しかし、それだけが本当の愛だとは思わない。愛の形はひとつでなくていいはずだ。愛する人々の数だけそれはあっていい、とぼくは思う。そして、妻を心配させるようなことは打ち明けないというのが、ぼくの愛の形である。
 というわけで、その夜、ベットを抜け出したぼくの身に振りかかった出来事は語らないことにする。台所で水を飲み、そのあとあんなことが起こるとはぼく自身思いもしなかった。なかなかにタフな出来事の連続だったし、危機一髪の場面だって、少なく見積もっても三回はあった。本当に紙一重だった。死んでもおかしくないほどだ。我ながら、よく生き延びたと思う。しかしながら、それは済んだことだ。全部済んだこと。とにかく色々なことがあった。一晩の出来事とは思えないほど。三部作の映画でも撮れそうなくらいだ。しかしながら、全部済んだことだ。まあ、ぼくは無事に帰って来たのだから、それでいいだろう。あるいは、こうも考えられるかもしれない。ぼくは帰ってきたのだ。それはハッピーエンドの約束されたお話。主人公の死でもって幕を閉じるような物語ではない。その物語の主人公であるぼく自身が語り手なのだ。絶対のその主人公が死んだりしない。それならば、心配性の妻でも心配せずに聴けるのではないか。確かにそうかもしれない。
「それから、ぼくは車に乗り込んだ」
 妻が唾をのみ込む音が聞こえる。
「アクセルを思いっきり踏み込んで、車を発進させた。やつらも車に乗り込み、どうしたの?」
「なんでそんな危ないことしたの?死んじゃうかもしれなかった」
「死ななかった」
「運が良かっただけだよ」
 ぼくは肩をすくめる。そうかもしれない。だいたいにおいて、ぼくらは運良く生きているのだ。運悪く死ななかっただけで。
 死ななかったにせよ、そんな話で妻は喜ばないだろう。妻が見る映画は決まって恋愛ものかホームコメディだ。アクション大作なんて絶対に見ないし、サスペンスやスリラーの類も忌避している。
 運良く生き延びたり、運悪く死ぬような映画を妻は見ない。
 ぼくは足音を忍ばせ寝室に入った。そして、ベッドに横たわる妻の顔を覗き込む。妻はぼくがベッドを抜け出した時と同じような安らかな寝息を立てている。幸せそうな寝顔だ。ぼくはそれを見て微笑むと、そっとベットに滑り込んだ。夜明けは間近だけれど、まだ少し眠る時間はある。
 妻が寝返りを打った。

No.379

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