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傷ついた一角獣の子ども

「これは一角獣だな」と、彼は言った。「一角獣の子どもだ」そう言いながら、そのうずくまって小刻みに震えている生き物の目と目の間を指差す。「ほら、少しふくらんでる。ここから角が生えてくるんだよ」
 ぼくは恐る恐るその生き物に近づいた。家族で行った動物園にいたポニーに似ていたけれど、もっと華奢で、触れたら折れてしまいそうだった。ぼくが顔を近づけると、その生き物は身をこわばらせた。
「ごめん」と、ぼくはその生き物に囁いた。驚かせてしまったことが忍びなかったのだ。ぼくがその一角獣の子どもの立場だったらどんなに心細いかを想像するだけで泣き出したくなる気分だった。きっと、母親が恋しいに違いない。ぼくもその一角獣と同じくらい幼かった頃のことだ。あたりを見渡しても、親らしい姿はなかった。
 ぼくは学校に入ったばかりだった。早生まれのぼくは同学年の子どもたちよりもトロ臭くて、ぼんやりした子どもだった。
 その時一緒にいた彼は、ぼくより一学年上の子で、まだ幼いぼくにとっての一歳年上であるというのは手の届かないくらい大人のように思えた。現に彼は色々なことをぼくに教えてくれたのだ。家が近所で、一緒に登下校をするようになり、その時に色々教わったのだ。
「帽子取れよ。なめられるぞ」彼はそう言った。黄色い帽子があって、みんなそれを被っていたのだけれど、ぼくは被らないことにした。彼がそう言ったからだ。
「ここの家は気をつけろ。モリクマがいる」
「モリクマ?」
 彼がモリクマと呼んだのはその家で飼われている大型犬のことだった。家の脇を通る小道とのさかいが金網でされていて、そこを通るぼくらを目がけてモリクマは飛び掛かってきたものだ。ぼくらは悲鳴と笑い声のあいだくらいの声を上げながら一目散に逃げる。その頃は、襲い掛かられていると思っていたけれど、きっと子どもを見たその犬は遊んでもらおうと飛び掛かっていたのだろう。しかし、その時のぼくはモリクマが凶暴な野獣だと思っていた。彼がそう言ったからだ。
 そして、その目の前で弱っている生き物は一角獣の子どもなのだと思った。彼がそう言ったからだ。
 ぼくらは森の中にいた。それは通学路からだいぶ違った場所で、本当は子どもだけで入ることは禁じられていた。
「大丈夫だよ」と、彼は言った。「バレやしないから」
 ぼくは彼を信じることにした。彼がそう言ったからだ。とはいえ、そこは間違いなく危険だった。クマやイノシシなどの野生動物が出ることもあったし、迷うと大変なことになる。ぼくらは子どもで、そこに立ち入ることが禁じられているという以上のことをなにも考えていなかったのだけれど。ぼくらがおかしているのは、大人からの禁止だけだと思っていた。本当は危険をおかしていたのだけれど。
 その森の、地面の少しくぼんだ所、ちょっとした洞窟のような場所に、その生き物はいた。足から血を流し、荒い息をしている。
「誰か呼んだ方がいいんじゃない?」ぼくはそう言った。
「誰かって?」彼は言った。「大人に言ったら、連れてかれちゃうぜ」
「でも」
「俺たちで」と、彼は言った。「助けてやろうぜ」
 それが可能なのかどうかはわからなかったけれど、そうすることにした。彼がそう言ったからだ。
 次の日、ぼくらは給食の牛乳を残し、放課後になるとその生き物にやりに行くようになった。牛乳を小さな盆に入れて差し出していやると、最初は信用できなかったのだろう、疑わしそうな目つきでこちらを見ながら飲むかどうか迷っている様子だったが、意を決してからは一息と言ってもいいくらいの勢いで平らげてしまった。
 それからというもの、給食の牛乳を残し、その生き物にやるのが日課になった。日に日に回復し、一週間もたつともう少しで立ち上がれるぐらいまでになった。そのつぶらな瞳はとても奇麗で、ぼくらを信じ切っていた。ぼくらも、その一角獣の子どもが大好きだった。
 その日は、ぼくが給食の牛乳を残して持ち帰ろうとしているのを、同じクラスの女の子に見られた。
「牛乳」と、彼女は言った。「どうするの?」
 ぼくはなにも答えなかった。一角獣のことは秘密だからだ。「秘密な」と、彼が言ったからだ。
「教えてよ」彼女は言った。「教えてくれないなら、先生に言うから」
 ぼくは白状することにした。すると、彼女はそれを見たいと言った。ぼくはしぶしぶ彼女を連れていくことにした。
「どうして」と、彼はもちろん怒った。「こんなやつ連れて来るんだよ?」
 ぼくはどうにか弁明しようとしたが、上手く言葉が出てこない。慌てれば慌てるほど舌がもつれ、なにも言えなくなる。
「お前なんかトモダチじゃない」彼はそう言うと、背中を向け、森の中に歩いて行ってしまった。ぼくは彼女の顔を見る。彼女もぼくを見る。
「帰る」そう言うと、彼女は帰ってしまった。
 ぼくは急いで彼のあとを追った。一角獣のところにいるのはわかりきっていたのだけれど、どこをどう通れば一角獣のところに行きつくのかがわからなかった。空が暗くなってきていた。ぼくは怖くなって、来た道を戻って家に帰った。
 翌日、一緒に登校しようと彼を待っていたが、姿を現さなかった。嫌われてしまったのだと落ち込んだのだけれど、なにか騒々しいのに気づいた。大人たちがざわついている。
 前日から、彼は家に帰っていなかったのだ。彼は行方不明になっていた。大規模な捜索が行われた。森に多くの人が入り、くまなく探された。それでも見つからない。二日たち、三日たった。四日目の朝、彼は見つかった。あの、一角獣のいたくぼみで、眠っているところを見つけられたのだ。
 一角獣の姿は無かった。


No.540


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