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狂気

 かくしてわたしは狂人を収容する施設に入ることとなった。もちろん、一筋縄で、とはいかない。わたしが激しく暴れたために、三人の警官が病院送りになった。その行動はわたしの主張であった。わたしは狂人ではない。わたしをそんな施設に送るべきではない。わたしは抗議の意味を込めて抵抗したのだ。ところが、わたしのその行動は別の、全く逆の意味で受け取られたようだった。つまり、わたしの大暴れこそがわたしの狂っている証左なのだという。かくしてわたしは準備をされたのだった。
 施設においては、意識の朦朧とする時間が多かった。処方される薬を飲むとそうなるのだ。ぼんやりとして、気付くと涎を垂らしながら横になっている。何をする気にもならない。いや、何をする気にもならないということを意識すらできない。恥も外聞もない。羞恥心などなくなっている。横にしかなっていられない。まるで背骨を抜き取られたような感じなのだ。立ち上がることはおろか、寝返りをうつことすらできないように思えてくる。自分が自分でなくなっていくように感じる。実際、彼らはわたしをわたしでなくそうとしているのだわたしが手放したくないわたしは、彼らにとっては異常なものであり、彼らとしては、それを手放させ、マトモなわたしをわたしに与えようとしているのだから。
 ありがたいことだ。しかしながら、そうした善意の押し付けほどうんざりさせるものはない。特に、狂気に関しては。
 また、こうして「彼ら」などとのたまっていることが彼らに知れると厄介なことになるだろう。彼らは「彼ら」とはわたしの想像の産物に過ぎなく、そうした「彼ら」などという存在をわたしが感じていることが、わたしの狂気の証明だと言い立てるのだ。彼らは自分たちが「彼ら」なのだとは考えない。彼らは彼ら自身が無色透明の無害なものであると考えている。それこそ正常の証明なのだ。
しかしながら、わたしはマトモだ。あなたがなんと言おうと。
施設で、わたしは一人の男に出会った。その男もまた、そこに収容された男だった。つまり、狂人の烙印が捺されているのだ。男が話し掛けてきたとき、わたしは嫌悪感を催した。狂人に話し掛けられることはどうやら心踊ることではないようだ。男はわたしに耳打ちした。
「あんた、ホントはマトモなんだろ?」
わたしは驚いて男の顔を見た。それまで忌々しく思っていたそれが、途端に救い主のように見えた。「わかるよ。あんたはマトモだ。俺もマトモだからな。マトモな人間にはマトモな人間がわかる」
「しかし」とわたしは言った。「彼らはわたしを狂人だという」
 男は鼻で笑った。「狂人の国でマトモでいるには、狂人になる他ないんだ」


No.553


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