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月光騒動

 まだ人類がたったひとつの月しか持たなくなる前の話。
 それは、それぞれの人がそれぞれの月を空に戴いていた時代のこと、人類がそのひとりにつきひとつの月を持っていた頃の話。夜空にはその大地で息をする人々と同じだけの月が浮かんでいた。それはたったひとつの月しか夜空に昇らなくなってからの、つまりいま現在の月よりも小ぶりで、光も弱かった。そして、その持ち主が息をするのをやめると、音もなく消えてしまうのだった。
 そのそれぞれの月の満ち欠けは、その持ち主の裁量に任されていた。月の持ち主が自分の月を満月にしたければ満月に、三日月にしたければ三日月に、新月にしたければ新月にすることができた。そんな時代だった。いろんな時代のあるものである。
 とはいえ、全てが自由で、思うがままというわけにはいかない。様々な時代があれど、そういう制約は必ずあるものである。月の明かりの総量は決まっていた。人々は大きな水瓶から、銘々の椀に水を満たすように、月明かりを分けてもらう必要があったのだ。そして、それはすべての人間の持つ月が満たされるほどの量を持たなかった。誰かの月が満たされれば、誰かの月は欠けていってしまう。夜空に浮かぶすべての月が満月になることはない。満月が満天、となることはないのだ。
 ところが、誰もが満月を望んだものだから、人々は月の明かりを求めて争うこととなった。誰もが満ち足りた満月を求めた。三日月にも三日月の情緒や美はあろうが、その頃の人々の美意識や感覚からすると、満月こそが最良であり、それ以外は恥ずべき状態だと考えられていた。人々は互いに争い、どうにか自分の月が満月になるように月明かりを奪おうとし、他人の月が欠けていくのなんてお構いなしに自分の月を満たした。そして、月明かりを奪われ、月の欠けてしまったものはそれを取り返した。もちろん穏やかにいくわけはない。力づく、血を血で洗うような、いや、事実として血を血で洗う闘争がいたるところで起こり、暴力は暴力を呼び、ついには殺し合いの始まる有様だった。殺されれば、報復があり、その犠牲者の縁者がまた報復を行い、と、それは終わることのない連鎖だった。そうして人々は争い続けた。終わることのない闘争だった。
 神は天上からそれを眺めていた。すべては神の差配であった。この世界のあることに始まるすべてである。各人が月を持つようにしたのも当然そのひとつである。神はそれ、人々の相争うのを天上から眺め、しばらくの間は楽しんだ。神は時に残酷である。しかしながら、それは卑小な人間ごときに批判のできることではない。その残酷な神ですら、その連鎖のあまりの長さに神ですら辟易したのだろう、各人がそれぞれ月を持っているという状態を改めることにした。月を一つにすることにしたのだ。そうすればこのバカ騒ぎに終止符が打たれるものだろうと、神は考えたのだ。
 そうして、月はひとつになった。
 ひとつの月にも満ち欠けはあったが、それは誰かが月の明かりを奪っているからではない。
 また、人々が奪い合いをやめたのかどうかもわからない。

No.366

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