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君は親友


 わたしがこうして仕事で成功をおさめ、大金を稼ぐにいたったのは、ひとえに努力、幼時より一心不乱脇目も振らずに勉強をしてきたからに他ならない。わたしは天才ではない。凡人も凡人、平凡を絵に描いたような人間である。もしもわたしに人よりも卓越したものがあるとしたら、それはこの認識であろう。わたしは凡人である。なかなかこうした事実を受け止めるのは難しい。しかし、事実は事実であり、動かし得ないのだから、その事実から物事を考えなければならないのだ。わたしは努力をした。それはわたしが凡人だからだ。努力の天才ではない。ただそうした正しい認識に立ち、そこから論理的に考えれば、努力するというのが当然の帰結であろう。
 努力の代償、代償というのは気が引けるが、代償があるとするなら、それはわたしに友人がいないということだろう。もちろん、努力はわたしに多くのものを与えてくれたのだから、差し引きすればそれは相殺され、むしろ利益の方が多いのだが。
 友人がいない。ただの一人として。
「友人がいない?」
「ええ」
「一人も?」
「そうです」
 わたしがそう言うと、わたしのボスは怪訝な顔付きでわたしを見た。まるで珍獣か宇宙人を見るような、いや異常者を見るような目付きか。実際、少し後ずさったような気もする。
「君は優秀だが」とボスは言った。「変わった奴だとは思っていたが、そこまでとは」そして息をついた。そして言葉を選んでいるのだろう、少し黙り込んでから口を開いた。
「それは君の人間性を疑わせる要素になるかもしれない」
「と」とわたしは言った。「言いますと?」
「まともな人間なら、どんな人間でも友人の一人や二人はいる」
「それは偏見です」とわたしは言った。「友人のいないまともな人間だっています」
「いいかね」とボスは眼鏡を上げた。「ビジネスの世界は偏見で成り立っている。タバコを吸う奴はそれが肺癌のリスクを高めることがわかっていないほどのバカ野郎だし、デブは自己管理のできないろくでなしだ。言っている意味がわかるだろう?自己管理できるデブがいるかもしれないが、デブはデブだ」
「わたしがもし」とわたしは言った。「この先、さらに出世を望むなら、人とまともに心を通わせることのできないイカれた野郎だと思われるのはまずい、とそういうことですか?」
「さすが君だ。飲み込みが早い」
 わたしは友人が必要になった。わたしが友人を望んだのはそういう理由だ。
 とは言え、それはどうも一朝一夕でできるものではない。言うまでもないことだが。「友人になってくれないか?」とでも言えと?「ああ、いいよ」という返事が返ってくれば友人だろうか?まさか。わたしは同僚たちに嫌われている。わたしは彼らを裏切り、利用してきたからだ。蛇蠍のごとく、どころではない。彼らはわたしの不幸を、それでも軽い表現で、死をすら望んでいるだろう。学生時代の知人とはまるで連絡を取っていないのは言うまでもないだろう。彼らにしても、利用できるものは利用し、用が済んだら手を切った。趣味を通じて新たな友人を作るという手もあるかもしれないが、わたしには趣味が無い。これも努力してきた結果だ。そもそもわたしには余暇という概念は無かった。全ては自分を向上させるために捧げられ、余った時間も暇も無いのだ。
 そこでわたしは友人を、しかも飛びきりの親友を雇うことにした。これは実に簡単なことだ。俳優のエージェンシーに連絡し、親友を演じてくれる人間を寄越させればいい。金ならいくらでもある。
「いや」とわたしは電話口で言った。相手が飲み込みが悪くて少し苛立っていた。「友人になってくれる人間が必要なんじゃない。友人を演じてくれる人間が必要なんだ」
「どんな舞台です?」
「舞台じゃない」とわたしは歯軋りしながら言った。「日常の中で演じてほしいんだ。酒を飲みに誘ったり誘われたり、失恋の悩みを打ち明けられたり」
「日常の中での舞台!」と電話の向こうの声は弾んだ。「素敵な響き。で、脚本はどんなです?」
「脚本なんて無いよ」とわたしは体の力が抜けてきていた。「全部アドリブで頼む」
「日常の中で、セリフは全部アドリブ、あなたを飲みに誘ったり誘われたり、これ、友人になるのとどう違うんです?」
「友情は抜きで構わんよ」
 かくして、わたしの親友がやって来た。
「よう、親友」と親友は言った。「どうだい、調子は?」
 わたしは彼のその態度がなんとなく癪に障った。わたしは彼の雇い主であり、彼はわたしに敬意を払うべきなのだ。
「なんだ、その態度は?」わたしは彼にそう言った。
「なんだって?」と親友は当惑した表情で答えた。「親友を演じているんですけど」
「確かに」とわたしは言った。「君はわたしの親友だが、それはあくまでも役としてだ。わたしは君の雇い主であることを忘れないように」
「やれやれ」と親友は言った。「厄介な親友だね」
「なんだって?」
「セリフですよ。親友としてのセリフ。お芝居なんだから、気にしちゃダメです」



No.185

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