炎上
その火災で何人かが死んだらしい。何人死んだのか、原因が何だったのか、わたしはテレビでそのニュースを見ていたわけだけれど、詳しい内容はちっとも頭に入って来ないでいた。そのニュースで使われていたのが、わたしの撮影した映像だったからだ。自分の手になる映像がテレビ画面で放送されているのはなんとも不思議な気分だった。
たまたま通り掛かった建物が燃えていた。何気なくそれを撮影した。それがテレビ局や新聞社の目に留まったのだ。何しろその現場を撮影したのはわたししかいなかったのだから、わたしのその映像を使うよりほかにない。素人であるわたしが、テレビ局や新聞社のプロのカメラマンを出し抜いたのだ。もちろん、タダでというわけではない。小遣いというには少し多い謝礼を貰った。
「また何かあれば、その時もお願いします」テレビ局の人間はそう言った。
とはいえ、そうそうそんな現場に出くわすわけがない。街のどこかで事件や事故は起きているかもしれないが、わたしのような素人がプロのカメラマンたちよりも早くそこに行くなどということは、よほどの偶然がなければありえないことだ。
ああして、現場をたまたま通り掛かって映像が撮れたのは宝くじに当たったようなものなのだ。そう納得せざるを得ない。そういうものだ。しかしながら、わたしは納得できなかった。もちろん、謝礼は魅力的だった。だがしかし、それだけが理由ではない。人々が、わたしの手になるものに注目するというのはなんとも言えない快感だった。わたしの撮った映像を、多くの人が目にしているのだ。その事実は、間違いなく快感だった。
見つけることができないのなら、自分で作ってしまえばいい。簡単なことだ。そうすれば、どこで火災が起こるのかが誰よりも早くわかる。
そうしてわたしは火をつけるようになった。そして、それを撮影するのだ。細心の注意を払わなければならない。わたしが犯人であると露見すれば、逮捕されてしまう。そういう疑いを抱かれぬよう、わたしは慎重に行動した。これは、わたしの心理とは相反する行動なので、実に難しい。わたしは注目されたいが、必要以上に注目されることは危険なのだ。
「警察は連続放火を疑っています」何度目かにテレビ局の人間はそう言った。わたしは顔色を変えぬよう気をつけながら、謝礼を懐にしまった。「もしも、警察の疑うように連続放火だったとして、その放火犯が犯行におよぶ姿を撮影できたら、大スクープですよ」
「そうかね」
「そうですよ」
「ふむ」
わたしはわたしが火をつける姿を撮影し、それをテレビ局に送った。大スクープをものにしたのだ。世間はわたしの撮影した映像に釘付けになることだろう。
No.857
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