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恋物語

 女には男が何を考えているのかわからなかった。男が自分の考えていることを女に話さなかったからだ。男は女に恋をしていた。男は自分のその思いを相手に告げることで、それまでの関係性が揺らぎ、それまでと同じでいられなくなることを恐れた。女に自分の思いを受け入れてもらえないことを恐れた。
 男には女が何を考えているのかわからなかった。女が自分の考えていることを男に話さなかったからだ。女は男に恋をしていた。女はその胸の中の思いが男に露見するのを恐れた。それが拒絶され、それまでと同じように振る舞ってもらえなくなることを恐れた。他愛無い会話で笑い合える関係性が壊れることを恐れた。
 ふたりはそうして互いの気持ちをわからずに過ごした。知りたくなかったのではない。わからないのだ。些細な相手の振る舞いや、ちょっとした言葉尻から、どうにか相手の思っていることを読み取ろうとする。あるところまではわけもなくいける。しかし、どこかで柔らかい壁にぶつかったかのように前に進めなくなってしまうのだ。あるいは、ほんのちっぽけな兆しから相手の自分への好意を読み取り小躍りし、同じように小さなサインから相手の自分への無関心を感じ取って深く落胆する。そんな堂々巡り。ふたりの思いはすれ違い、いつまでたっても手と手を取り合うことがない。
「柔らかい壁って表現はなんだか安っぽくない?あと、手と手を取り合うってのも」と君は言った。
「うるさいな、いいんだよ」とぼくは言った。「この話を書いてるのはぼくなんだ。邪魔しないでくれよ」
「それに、なんでこの二人は自分の気持ちをはっきり伝えないの?」と君は言う。
「なんでって?」
「思い切って伝えればいいじゃん。だって相思相愛なんだから」
「ふたりにはそれがわからない」
「わかるようにしてあげれば?そう書けばいいだけじゃん」
「でも、そうして、自分の想いを伝えてしまったら、物語が終わってしまう」
「伝えてふたりがむすばれたって、ふたりが消えてしまうわけじゃないじゃない。ふたりの話は続くでしょ?むしろそこがスタートラインじゃん」
「ちょっと待ってくれよ。これは恋物語なんだ。恋が過ぎれば物語も終わる。恋するふたりの恋が終われば終わりだ」
「物語が終わるとどうなるの?」
「ふたりは消える。だって、ふたりはこの物語の中の登場人物なんだ。物語が終われば消えてしまうさ」
「駄目だよ、そんなの」
「仕方ないじゃないか」
「駄目」
「じゃあ、どうしたらいい?」
「じゃあ、こうする」と君は言って、ペンを手に持ち、腕まくりをした。
 ふたりは互いに自分の気持ちを伝えあった。すると、ふたりの前に扉が現れた。古めかしくて、重そうで、きっとひとりでは開けられない、そんな扉。ふたりは手をつなぎあった。そして、ドアノブを握った。
「そして」
「そして?」
「扉の向こうには?」
「愛?」
「日常?」
「倦怠?」
「永遠?」
 ふたりの姿は扉の向こうに消えた。物語の主役であるふたりが姿を消してしまったため、この物語は終わる。ふたりがその後どうなったかわからない。

No.296

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