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丸い地球の上でぼくが考えたこと

 ぼくの父は地球が丸いということを認めなかった。学校から帰って、その日学んだことを何気なく話すと一笑にふされた。
「地球が丸いって?」と、父はニヤニヤしながら言う。そして、近くにあったバスケットボールを指差し「じゃあお前、そこにあるボールに乗ってみろ」
 断っておくが、父は科学的な一切を頭から否定するような人ではなかった。進化論は認めていたし、それを学校で教えることも支持していた。地球の年齢は四十六億年であり、その上で生命はゆっくりと、しかし確実に進化し、いまにいたったのだと、そう信じていた。
「こんなに多くの生き物をたった一人で考えるなんてのは不可能さ」が父の見解だった。ぼくが子ども時代を過ごしたのは良く言えば自然に囲まれた土地で、様々な生き物や植物が身近にあった。「それに、誰かが作るにはあまりに大きすぎるし精妙だ」
 それでいて、地球が丸いことは認めなかったのだから、なんだかひどくいびつな感じがした。「ほら、乗ってみろ」
 ぼくはいやいやながらボールに乗ることにした。もちろん、ボールの上でバランスをとることなんてできなくて、すぐに落ちてしまう。
「ほらな」と、父は勝ち誇った顔をした。「丸いのもの上で立ってなんかいられない」
「地球はもっともっと大きいんだ」と、ぼくはボールを父の鼻先につきつけながら言った。「大きければ、平らなところができる」
「じゃあ」と、父は言って、ボールの下の方を指で突いた。「ここにいる人間はどうなるんだ?真っ逆さまに落ちちまう」
「重力があるんだよ」と、ぼくは言った。「ボールの中心に引っ張られているんだ」これは学校で先生が言ったことをそのまま喋っただけだった。おそらく、父にはそのことがわかったのだろう。
「重力って?」
「引っ張る力」
「どうやって?」
 ぼくはなにも答えられなかった。受け売りの知識で父を納得させるのは不可能なようだった。しかしながら、簡単に白旗は上げたくない。もうひとつ、受け売りの知識を披露することにした。
「船、船は陸から離れて、海の方へ行くとだんだん見えなくなるでしょ?あれは地球が丸いからさ」
「光の屈折だ」
 これはかなり手ごわそうだ、と、ぼくは思った。そして、ここは引き下がるしかないと観念し、同時に一抹の不安がよぎった。この父に育てられたぼくの知識に、なにか偏りがあるのではないか、という不安だ。もしかしたら、世の中では常識とされていること、非常識とみなされていることを、ぼくはあべこべにおしえこまれているのではあるまいか、と。それからというもの、ぼくは自分の知識の総点検を始めることになる。
 それと同時に、父は父でひとつの計画を開始していた。と言っても、それは極秘裏に進められており、ぼくがその存在に気付くのはロケットの発射当日のことだった。
「ロケット?」と、驚きながらぼくは言った。「いったい何を言っているの?」
「ロケットはロケットさ」と、父は背後に置いてある金属の塊を親指で示しながら言う。銀色に光る服、たぶん宇宙服のつもりだろう、そして、フルフェイスのヘルメット。「俺がこの目で確かめて来てやるよ。この地球が、お前の言うように丸くなんかなく、平らだってことをな」
「空高くから?」
「ああ」
 ぼくは血の気の引いていくのを感じた。父の背後にあるのはお世辞にもロケットには見えず、白い煙を吐き出している金属の塊であり、その周りをあわただしく駆け回っている人たちもロケット技術者というよりも農業従事者と言った風体で、最大限贔屓目に見てコメディ映画の撮影現場にしか見えない。あとで知ることになるのだが、父のその「ロケットで空から地球が平らなことを確かめる計画」には多くの賛同者が集まり、相当な額の出資までされていたのだそうだ。それならもう少しまともなロケットができてもよさそうなものだが、まともな人が参加していなかったのに違いない。
 光景としてはコメディでも、その醜悪な金属の塊に父が乗り込み、打ち上げられるとなるとホラーかスリラーの結末しか想像ができなかった。ロケットと呼ばれるそれが飛ばずにその場で爆発するか、運よく宙に飛び立っても、どこかの段階で壊れて、墜落するに決まっている。
「お願い、父さん、馬鹿な真似はやめてよ」ぼくは父に泣きついた。父は穏やかな顔でぼくの手を握った。
「何事も、自分の目で確かめることが大切だ。誰かが言うからそれが正しいと信じるな。いいか、お前の目だけを信じるんだ」
 結果から言うと、ロケットは墜落しなかった。そもそも、打ち上げられることも無かった。では爆発したかと言うと、それも無かった。点火はされたが、それはうんともすんとも言わず、調整が施されている間に騒ぎを聞きつけた警察が来て、父とその仲間たちをパトカーに乗せ、その金属の塊を没収したからだ。それから大量の火薬が見つかったことで、父たちはテロリストの嫌疑がかけられ、地球が平らなことを証明するのだと主張したことで精神鑑定にかけられた。すったもんだの末に釈放となったが、ロケットは返ってこなかった。そして、父がもう一度飛ぼうとすることも無かったし、地球が丸いかどうかを云々することも無かった。
 この一連の出来事でぼくが得たのは「自分が正しくないかもしれないと疑う姿勢」だろう。もしかしたら、ぼくの知っていることは正しくないのかもしれない。衛星の送ってよこした丸い地球の写真はニセモノかもしれないし、地球は平らかもしれない。どちらでもいいと言えばどちらでもいいし、気になれば確かめればいい。そう、自分の目で。
 そんなことを、ぼくは丸い地球の上で考えるのだ。


No.397


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