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詩の心のあるところ

 技術革新はいつも人類を次なるステップへと導いていったが、今回のそれは大いなる一歩、有り体に言って、別次元への飛躍とさえ呼べるものであった。
 どんな技術か?お互いの意思を完璧に疎通することができる装置が開発されたのだ。阿吽、つーかー、一心同体、以心伝心、これで誰とでも、いつでも、思っていることを、一切の遺漏なく伝えることができる。これで話がなかなか通じなくてイライラしたり、「あの、あれだよ、あれ、なんて言うか、こう、まるっとした感じ」なんていうぼんやりした言葉にイライラしたりせずに済むようになった。頭の中にあるものを、そのまま相手に転送できるのだ。ぼんやりしたものならぼんやりしたまま送ることができて、「なるほど、確かにまるっとした感じですね」となって、「まるっとした感じって何ですか?もっと具体的に言ってください」と険悪にならずに済む。なにより効率的である。
 新しいものが現れれば古いものが失われていくというのはよくある話で、例えば携帯電話は公衆電話を駆逐していったし、自動車は馬車を追いやった。もう小銭をジャラジャラいわせて公衆電話を探して歩き回らないでいいし、馬車を引く馬の落とした馬糞に気を付けながら歩かなくていい。そして、互いの思っていることを転送できるようになり、曖昧な相手の言葉にイライラしなくてよくなったかわりに、人々から比喩が失われた。
 なぜなら比喩はぼんやりした感じを伝えるための技術だったからだ。「なんて言うか、まるっとした、大豆みたいな感じ」のように。お互いの意思を完璧にとはいかないまでも、どうにか近付けるのが比喩なのだ。「みたいな」とか「ような」は死語となった。語はそもそも生き物ではないからたぶん死なないけれど。
 この変化で一番のあおりをくったのは詩人たちである。詩人たちは比喩の技術の専門家であったからだ。比喩を駆使し、言葉で繊細な世界を構築するのが彼らの仕事である。ある種の労働者たちが機械にその場を奪われ、怒り狂ってその機械を打ち壊したように、詩人たちも自分たちのいるべき場所を奪われたけれど、詩人たちは怒り狂ったりせず、暴れることもせず、失業し、街をうろつくことになった。詩人はあまり猛り狂わない。
 とはいえ、詩人たちは元々詩を作ることで食えていなかったので、実際の変化はほとんど無かった。互いの思っていることを転送できる技術の発明される以前から詩に親しむ人間はほとんどいなかったし、それにお金を払おうなどという人は皆無と言ってよかった。
 それでも、その技術が詩人たちに与えた衝撃は致命的だった。比喩を奪われるのは鳥が翼をもがれるに等しい。これは比喩だ。自らの命を絶つ詩人が続出した。まるでそれが詩人の自己証明ででもあるかのように。詩人たちは次々に自殺した。様々な趣向を凝らしたやり方で。それが彼らに残された最後の自己表現のようだった。それを何かの隠喩にしようとしたのであろう。まあしかし、彼らが言葉にならない叫びをそうして上げようとも、その言葉にならない叫びは全て他の人々にちゃんと理解できるようになってしまっていたのだ。技術革新は互いの思っていることを転送できるようにしたのだ。死にゆく詩人たちの気持ちは理解されたし、思いとどまるように説得さえされたが、自分が理解されているという事実は詩人たちを絶望させるには充分だった。
 そうして、最後の詩人が命を絶ち、詩人という種族は死に絶えた。もう誰も、比喩の使えないことを悲しむ者はいなかった。詩人がいなくなったことを悲しむ者もいなかった。それは歴史の教科書に載っている、人類の奇矯な習慣、場合によっては喫煙や麻薬の使用、イニシエーションとしてのバンジージャンプ、刺青と同類の野蛮な悪癖として片付けられることになった。「こんなことをしていたなんて、昔の人は文明化されてない野蛮人だったんだな、あはははは」みたいな感じで。
 この話は何かの寓喩であるのかもしれない。


No.333

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