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丸い夢

「丸い夢を見た」と、起きてきた妻は言ったのだけれど、ぼくはそれを「悪い夢」と聞き間違えた。悪い夢なら聞いたことがあったが、丸い夢なんて言い方は聞いたこともなかったから、つい聞き間違えたのだろう。そのため、ぼくらの会話はしばらくの間うまく噛み合わなかった。
「どんな夢?」と、ぼくは尋ねた。
「だから、丸い夢」と、妻は答えた。
「いや、だからどんな悪い夢だったの?」
「だから、丸い夢だって」
 こんな押し問答が少し続いて、朝から険悪な雰囲気になった。夫婦の危機とまではいかないまでも、なかなか困った事態である。先日、許可を得ないまま新しいモデルガンを買って怒られたばかりだ。できる限り波風は立てたくないのに。
「丸い夢? 悪い夢じゃなくて?」
「そう」と、不機嫌な妻は言った。「丸い夢」
「丸いって」と、ぼくは言った。「丸いって、夢に形があるの?」
 妻は深く息をついた。「夢に形がないの?」
 ぼくは考えた。これまでの人生で形のある夢なんて一度として見たことがない。そもそも夢に形があるかなんて考えたこともない。しかしながら、そんなことを口にすればまたため息を聞くことになるだろう。
「今日の夢は飛び切り丸かった」妻はそう言った。
「そう」と、ぼくは相槌を打った。それ以外何ができるだろう。
「完全な丸で、どこにも引っかかりが無いような、そんな夢」
「そう」
「どこにも指のかかるところがなかったから」と、妻はぼんやりしながら言った。「夢を出すことができなかったの」
「出す?」ぼくは驚いて尋ねた。「夢を?」
「出さないの?」と、妻はまた深い息をついたのだけれど、それは別にため息ではなさそうだ。「夢を」
「大丈夫?」ぼくは尋ねた。「気分が悪いの?」
 妻はまた深い息をついた。「夢が出せなかったから」どうにかそれだけ言うと、妻はテーブルに突っ伏してしまった。寝息を立てて眠っている。
 ぼくはなにがなんだかわからず、妻の中の丸い夢のことを考えながら、眠る妻を見ていた。
 


No.776

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