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空を売る

 お金がないので空ばかり眺めて暮らしていた時期がある。なぜお金がなかったかというと、働いていなかったからだ。働かないとお金は稼げない。お金がないとすることがない。どこかに行くにはお金がかかる。何かを食べるにもお金が必要だ。水だってそう。水にもお金を払うのだ。いずれ空気を吸うにもお金がかかるようになるのではないかと不安になる。お金がないと、女の子にもモテない。女の子でもいれば、部屋でイチャイチャごろごろしているのも悪くはないけれど、お金がないぼくにはそんな女の子はいないのだ。
 まあ、どれもこれも一般論である。働かなくてもお金が稼げて、お金がなくても女の子にモテる人もいるかもしれない。でも、一般論というのは一般に当てはまるもので、それはつまりだいたいの場合に当てはまるということで、ぼくは残念ながら、その一般の方の人間なのだ。
 映画を観るにも、絵画を眺めるのも、お金がかかるのだけれど、空ならいくら見ていてもお金はいらない。というわけで、ぼくはお金がなかったので、そのころ空ばかり見ていた。
 そうしていると、ふと疑問が浮かんだ。青空に、真っ白な雲がぽっかり浮かぶみたいに。
「空はこんなに美しいのに、なぜお金がかからないのたろう?」
 ぼくはそれを誰かに尋ねたかった。ところが、あたりを見渡してみている人達といえばみんな働いている人ばかりで、なんだかあくせく忙しそうに動き回っており、ぼくのそんな疑問に答えるだけの暇もなさそうだ。働くのをぼくのために少し休んでもらっても、その分のお金がぼくには払えない。時は金なり、タイムイズマネー、ぼくにはお金がない。実家にいる姉さんに手紙を書いて聞いてみようかとも思ったが、手紙を送るにも切手を買わなければならないからお金がかかる。
 ぼくは自分で答えを出さなければならなかった。ぼくは考えた。考えるのにはお金がかからない。考えに考え抜いて出た答えは、「空は誰のものでもないから」だ。誰のものでもないものを見るのにお金はかからない。映画は映画館のものだし、絵は美術館のものだ。空は誰のものでもない。
「それなら」とぼくは閃いた。空をぼくのものにしてしまおう。そうして、早速廃材を集め、額縁を作った。廃材の寄せ集めだから、その額縁も廃材のように見えるかもしれないが、それはあくまでも額縁だ。なぜならぼくがそう主張するからだ。そして、廃材にはお金がかからない。なぜならそれは誰かが放棄したものだからだ。
 出来上がった額縁から見る空は格別だった。額縁に収まった空、それはぼくの空のようだ。どんな映画よりも、絵画よりも美しい、とぼくは思った。移ろいゆき、二度と同じものは現れない。それでいて、どの瞬間も美しい。青空でも、曇天でも、夜空でも。ぼくはみんなにそれを見てもらいたいと思った。もちろんお金をとって。美しいものにお金を払う人はたくさんいるだろう。でなければ、映画館や美術館が成り立つはずがない。人々は「美」にお金を払っているはずだ。ところが、誰一人としてぼくのその空を見ようとしなかった。なぜなら、ぼくの空以外にも空はいくらでもあるからだ。誰もぼくの空を見なかったのは、たぶんこういう理由だと思う。別に誰も空を見たいと思っていないからではないと思う。だって、空はこんなにも美しいのだから。
 そして、空はぼくのちっぽけな企みなんて簡単に呑み込んでしまえるほど大きいのだ。

No.249

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