見出し画像

走馬灯

 走馬灯という言葉を初めて聞いたのは、祖父の葬儀の時だったと思う。ぼくがまだ幼かった頃の話だ。
 真夜中に電話が鳴った。受話器を手に応答する母の様子から、なにかが起きたということだけは察せられた。なにか、不穏なことだ。母にせかされながら慌ただしく身支度をして、家を出る。車の中、父も、母も、誰も口をきかなかった。いつもなら床に就いている時刻に起きていることが、ぼくを少し興奮させた。真夜中を過ぎるとオバケが出るとそれまで脅されていたから、ぼくはそれに少し身構えていたのだけれど、なにも出て来なくて安堵と拍子抜けの中間ぐらいの感覚を味わった。気付くと祖父の入院している病院に着いていた。ぼくは眠ってしまっていたのかもしれない。
 その頃、幼かったぼくにとって、それは初めて人の死に触れる経験だった。病室で、祖父は無機質な機器に囲まれ横たわっていた。枯れ木のようだ、と思った。人ではなく、枯れ木がベッドに横たえられているみたいだった。それが、それまでぼくの接してきた祖父だとは、どうしても思えなかった。人工呼吸器のガサガサした音。機器の発するデジタル音が耳に残った。
 ぼくが待合室でうたた寝をしている内に、祖父は死んだ。みんな沈痛な面持ちをしていたが、涙は流していなかった。おそらく、すでにその覚悟をしていたのだろう。時間の問題だったのだ。ぼくも泣かなかった。祖父が自分とは縁遠い存在だったわけではない。あまりの呆気なさに驚いていた。もっと劇的ななにかがあるに違いないと思っていたのだ。それが、死は足音など立てずにやって来た。もしかしたら、あのデジタル音がそれだったのかもしれない。
 葬儀には多くの人が集まった。ぼくの知らない人ばかりだった。大人たちは忙しそうで、誰もぼくにはかまってくれなかった。ぼくよりも少し年嵩な従兄も同じ境遇だった。ぼくと従兄は二人で遊んで、もてあましていた時間を過ごすことにした。
 その時だ。従兄が言った。「走馬灯って知ってる?」
「そうまとう?」
「うん、走馬灯」
 ボクは首を傾げた。「なにそれ?」
「人が死ぬ時にさ、生きてる時にあったことを見るんだって」
「ふーん」
「おじいちゃんも見たかな?」
「なにを?」
「走馬灯」
 それから長い時が過ぎた。ぼくは成長し、学生になり、勤め人になった。様々なことがあった。成功もあれば挫折もあった。歓喜もあれば失望もあった。それが人生だ。恋をして、家庭を築いた。額に汗しながら働いた。子供ができ、慈しみながら育てた。気付けば子供たちも家庭を築いていた。長い時、といったものの、こうして振り返ってみるとあっという間に思えるから不思議だ。
 そして、ぼくは今まさに死の足音を聞いている。周りの人間たちには聞こえないらしい。それは当事者にしか聞こえないようだ。ぼくは死のうとしている。大往生と言っていいだろう。
 ぼくがベッドに横たわる周りを、子供たちや孫たちが囲んでいる。皆、心配そうな顔つきだが、諦めの色もそこには混じっている。ぼくは確実に死に向かって歩みを進める。
 軽い落下の感覚、うたた寝をしている時に感じる、落ちるような感じのあれ、これが死なのだろう、と思った。しかし、ぼくは逆にそれで目を覚ました。
 ぼくは幼いぼくだった。従兄が目の前にいた。ああ、祖父の葬儀の時だ。
 従兄は言った。「走馬灯って知ってる?」
 ぼくは答えた。「知ってるよ」
 知っている。それが、そこで従兄と会話を交わしていること自体が、走馬灯なのだ。生きていた記憶。ぼくは瞬時に理解した。走馬灯は走り去る馬のような速度ではないのだ。いや、時間はあくまでも主観的だ。実際、生きた時間も走り去る馬のようにあっという間だったということもできる。
 それから長い時が過ぎた。長くてあっという間の人生。一度走り抜けたそれ。そして、死の床で、ぼくはまた走馬灯を見るのだろう。そして、従兄はぼくに「走馬灯って知ってる?」と尋ね、ぼくはこう答えるのだ。「知ってるよ」

No.337

兼藤伊太郎のnoteで掲載しているショートショートを集めた電子書籍があります。
1話から100話まで

101話から200話まで

201話から300話まで

noteに掲載したものしか収録されていません。順番も完全に掲載順です。
よろしければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?