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エイリアンズⅥ

連作「エイリアンズ」 兼藤伊太郎|オルカパブリッシング @mK4MShqVPI8NM4D #note https://note.com/muda/m/m56d95ddeb2a4


 俺は警察署の部屋にいた。ずっと母ちゃんを待っていた。母ちゃんが来ないと帰れないからだ。別にひとりでも帰れると言おうかと思ったけどやめた。やめた、って言うか、できなかった。なんだかパワーが全部なくなっちゃったみたいだった。HPゼロ。体力ゲージみたいのがあったら真っ赤か、完全にゼロかだ。ゲームオーバー。
 俺は、俺たちは、俺とあいつは、何も悪いことなんてしてない。怒られることなんてしてない。怒られるなら、それはあいつの母ちゃんの方だ、と俺は思った。あいつを泣かしたのは、あいつの母ちゃんたちだろう。俺たちは、そういうの全部から逃げ出したかっただけなんだ。手を繋いで、どこまでもどこまでも歩いていく。どこまで?どこまでだって歩いて行けたさ。歩いて行けた。パトカーが来て、あのクソ警官が俺たちをそれに乗せなければ。
 でも、こういうのは、あとで考えたことだ。あいつは連れて行かれちゃった。次の日、あいつは学校を休んだ。その次の日も。その次の日には来たけど、俺はあいつを見なかったし、あいつも同じだと思う。そして、しばらくすると転校して行った。それはどうでもいいことだ。なんだかすごく空っぽになっちゃったみたいだった。
 俺はその時、警察署の部屋で、空っぽになってた。空っぽで、何も考えてなかった。何も考えられなかった。ぼんやりしてた。ぼんやりしてたら、なんだか父ちゃんのことを思い出していた。
 俺と父ちゃんは、空港にいた。別に飛行機に乗ってどこかに行くわけじゃない。屋上みたいなとこで、飛行機が飛んで来て、飛んで行くのを見てた。俺はまだ抱っこされるくらい小さくて、父ちゃんに抱っこされながら飛行機が飛んで来て飛んで行くのを見てた。ただ飛行機が飛んで来て飛んで行くだけなのに、いつまでだって見てられた。父ちゃんもいつまでだって俺を抱っこしてられるみたいだった。
「あれはボーイングっていうんだ」
「ぼーいんぐ?」
「あの飛行機の名前」
「ぼーいんぐ」
「そう、ボーイング」
「乗ってみたい」
「ああ、いつか乗ろうな」父ちゃんはそう言った。「どこに行こうか?」
 その「いつか」は来なかった。いまのところ、来てない。たぶんもう来ないだろう。それから少しして、父ちゃんは家を出て行って、俺は父ちゃんが大嫌いなクソ野郎になった。クソ野郎。
 だから、俺はどこへも行けない。
 母ちゃんがやって来たのは、十時過ぎだった。たぶん残業だったんだろう。俺は残業が嫌いだ。母ちゃんはすごくくたびれてるし、不機嫌なときもある。部屋に入って来た母ちゃんは何も言わなかった。俺も何も言わなかった。別に何か言うことも無かったからだ。俺は警察署のクソ椅子から立ち上がると、母ちゃんのあとについて行った。警察署を出て、夜の道をトボトボ歩いた。俺は母ちゃんの服の背中のシワを見てた。それを見て歩いてた。母ちゃんが足を踏み出すたびに、それは形を変えて、また元に戻ってを繰り返してた。どこかでそれが繰り返さないんじゃないか、確かめたくてずっと見てた。そうしたら、母ちゃんが言った。
「お腹すいた?」
 俺は何も答えなかった。
「お腹すいた」母ちゃんはそう言うと振り返って、俺の手をギュッと掴んで、グイグイと歩いて行って、牛丼屋に入って大盛りを二つ頼んだ。そして、それをふたり並んで黙々と食べた。最初は紙を食べてるみたいな気分だけど、食べてるうちにどんどん美味しくなって、食べ終わる頃には世界で最高に美味しい食べ物になってた。
「おかわり?」と母ちゃんが聞くから、俺はうなずいて、二杯目を食べた。
 食べ終わって、一息ついてると、母ちゃんが小さな声で言った。「ねえ」
「なに?」
 母ちゃんは少し黙った。それから「お父さんに会いに行こうとしたの?」と俺に聞いた。
 飛行機が飛んで来て飛んで行くときにはすごく大きな音がする。何も聞こえなくなるくらい。牛丼屋で、俺の耳はそんな感じだった。何かがポタポタとテーブルに落ちてた。水かと思ったけど、それは涙だった。俺は泣いていた。
 俺は、俺たちは、俺とあいつは、どこにも行けなくて、エイリアンですらなくて、ただの、何もできない子どもだった。

No.260

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