見出し画像

みんな嫌いだ

「みんな嫌いだ」と少年は呟いたけれど、雑踏の音に掻き消されて、その呟きを聞いた者はいなかった。少年としても、それで別に構わなかった。だって、少年はみんな嫌いなわけだから。理解してほしくなどないのだ。みんなとは少年にとってのみんなであり、誰かのみんなではない。
 そのくせ少年はみんなに好かれたいと思っていた。抱きしめて欲しいと思っていた。頭を撫でられ、頬に口づけされたいと願っていた。温もりを誰よりも欲していた。けれど、少年はそれを口に出すことはなかったし、態度として示すこともなかった。だって、少年はみんなを嫌っているのだから。そんなことは誰にも言いたくなかった。それを表明した瞬間に、すべてが崩れ去ってしまうような気が、少年はしていた。
 そこで少年は街をさまよい歩くことにした。この中の誰かが、少年の願いを察して、抱きしめ、温めてくれるのではないかと淡い期待を抱いて。
「あなた、温もりを求めているね」
 少年はなにも応えない。しかし、その人は少年をそっと、しかししっかりと抱きしめる。
 もちろんそんな者はいない。世の中はそんなに都合良くは作られてはいなくて、人々は少年と目を合わす事もなくすれ違い、それぞれの目指す場所へと足早に立ち去ってしまう。まるで少年なんて存在しないかとでもいうみたいに。そんなみんなの姿を目にするにつけ、少年の心の中にはみんなに対する嫌悪が募った。自分には無い、どこかをみんなは持っているのだ。自分を待つ誰かを、みんなそれぞれに持っている。抱きしめるか、打ちのめすかはわからないけれど、それでも誰かが待っている。誰も待っていない少年には、誰かに待たれているということ自体が羨望されるべきことなのだ。少年はさまよい歩き、人々は去っていく。
「どうすれば」と少年は呟いた。誰にも向けられない呟き。「どうすればいいんだ」
「あの太陽を」と女が少年の耳元で囁いた。それはどこからともなく現れた女で、突然のことであったが少年は驚かなかった。「消してしまいなさい。そうすれば、あなたのことをみんなが愛すでしょう」
 少年は顔を引き、女の顔をまじまじと見た。女の顔には微笑みが浮かんでいた。美しい、と少年は思った。けれど、それはとても冷たくて、とても怖い美しさだった。少年は女の顔を見詰めた。そして、女は一つ頷き、去っていった。
 少年は天を仰ぎ見、手を翳しながら太陽に目をやった。音も無く静かにそれはそこで燃えていた。少年は首を振った。
「そんなことが出来るなら」少年は呟いた。「最初からやっているさ」
「君のために」と今度は老人の嗄れた声が少年の耳元で囁いた。「君の遺書を書いておいてあげたよ」そして、老人は封筒を少年に差し出した。少年は枯れ枝のような手からそれを受け取ると、ろくに見もせずポケットに押し込んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」そう言うと老人はその場をあとにした。
 気付くと少年は泣いていた。悲しくなどないのに両目から涙が溢れた。どうにかそれを押し止めようとするのだがうまくいかない。横隔膜が痙攣しだし、嗚咽が漏れる。だが、誰も少年にかまったりはしない。少年は一人涙を流し続けた。
 野良犬がやって来て、少年の頬を舐めた。生臭いにおいが少年の鼻をついた。
「みんな、愛してる」少年は犬に言った。犬は首を傾げるような素振りを見せ、どこかへ行ってしまった。
「愛してる」少年はそう呟いた。「だから大嫌いだ」
 太陽は音も無く燃え続けていた。

No.335

兼藤伊太郎のnoteで掲載しているショートショートを集めた電子書籍があります。
1話から100話まで

101話から200話まで

201話から300話まで

noteに掲載したものしか収録されていません。順番も完全に掲載順です。
よろしければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?