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ひみつの秘密基地

 ある日、甥がやって来た。まだぼくが学生だった頃のことだ。ぼくと姉は歳が離れていて、その頃には姉はすでに結婚していて、子どももいたのだ。ぼくは結構その甥と仲が良かった。姉との関係よりも、甥との方が良好だったくらいだ。彼の父親は仕事で忙しい人だったし、ちょうどいい兄貴分的なものだったのかもしれない。まだ姉の家の近所にぼくも住んでいて、夏休みになると一緒にカブトムシを獲りに行ったりしたものだ。その後、ぼくは学校を卒業して引っ越してしまったし、彼は彼で思春期を迎え、誰にでも覚えのあるような難しい時期になった。そうして、彼の成長するにしたがって疎遠になり、いまでは親戚の集まりで顔を合わせるくらい、それもお互いちょっと気恥ずかしいというか、少し壁のあるような関係になった。いつまでも子ども時代のままというわけにはいかないのが世の常だ。まあ、いい。
 やって来た彼は、ぼくに耳を貸せと合図する。あたりをきょろきょろと窺っている。そして、もう一度ぼくの方を向き、早くしろという感じで手招きする。ぼくはかがんで彼の口元に耳を寄せた。彼の熱い息がぼくの耳をくすぐる。熱い息と一緒に、彼は言った。
「秘密基地を作ったんだ」
 秘密基地。なんて甘美な響きだろう。その言葉を聞いた瞬間、ぼくは自分が子どもだったころに拵えた秘密基地を思い出した。近所の雑木林に、拾ってきた木材と、ダンボール、ビニールシート、毛布などで作り上げたそれは、掘っ立て小屋にも満たない、強風が吹けば簡単になぎ倒されてしまうようなものだったけれど、何度も何度も補強をし、次第に頑健になり、少々雨漏りはするものの、それなりに快適な空間を作り上げたものだった。ぼくはマンガ本や、お菓子のおまけのシール、メンコなどをそこに置いていた。とはいえ、本当のお気に入りはさすがに自分の机の引き出しに隠してあって、誰かにとられても構わないようなものだけをそこに置いていたのだった。結局、あれは本当に誰にも秘密の空間だった。当時もぼくには友だちはおらず、秘密を共有する相手はいなかったし、両親や姉にもその存在を明かさなかった。誰にも秘密のまま、雑木林が宅地造成されることになり、ぼくの秘密基地もあっさりと壊された。そんなものだ。
「本当に?」と彼に向き直って言った。「それはどこにあるの?」
「秘密だもん」と彼は声を潜めて言った。「教えられるわけないじゃん」
「教えてよ」と、ぼくは食い下がった。彼もまんざらではなさそうだ。そうやってぼくに言うということは、言いたいということなのに違いない。でなければ、秘密は秘密のままにしていれば良かったのだから。
「秘密にできる?」
「ああ、もちろん」ぼくは大きく頷いた。わざとらしいくらいに。
「約束だよ」と、彼は念を押した。
「うん、約束だ」
 と言うわけで、秘密基地の場所を含め、その詳細について語ることはできない。なにしろ、それは約束なのだ。もしもそれをここで明かしてしまったら、約束を破ることになる。昔の話だからと言って、それを理由に約束を反故にするのを肯定することもどうかと思う。彼ももうそれなりに大きくなって、もうあのころの子どもではないとしても、それでも約束は約束だ。あの時の彼を裏切るようなことは、ぼくにはできない。あのころの、ぼくを信じてくれた彼を。仕方ない。
 その代わりと言ってはなんだが、彼の言葉のひとつを引くことで勘弁してほしい。これは彼が高熱で寝込んだときに口にしたものだ。
「雨が上がったら、虹が出るでしょう」


No.442


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