見出し画像

目覚めよと呼ぶ声がする

 彼女が眠り始めてから、もう半年になるという。半年の間、一度たりとも目を覚ましていない。この異常事態に、彼女の両親は様々な病院で様々な医師に彼女を診てもらったが、全て徒労に終わった。どの医師も、彼女は眠っているだけでどこにも異常はなく、ただ眠っているものを治すことはできないと匙を投げたらしい。
「ご安心ください」そうして、彼女は私の元にやって来た。「眠りの異常は私の専門とするところです」
「娘は目を覚ますでしょうか?」
 彼女の両親に安堵の様子は窺えない。むしろ、疑心暗鬼といった方がいいかもしれない。無理もない。いくつもの病院をたらい回しにされた挙げ句の果てに、専門家を名乗って出て来たのが私のような小娘だったら信用できなくとも仕方のないことだろう。
「私どもにお任せください」そんな様子を察して、私の隣にいた同僚、私の公私に渡るパートナーが言った。「彼女は若いかもしれませんが、彼女の積んできた経験と実績、治療の腕は確かなものです」
 両親たちの固く強張ったものが心無しか弛んだように見えた。
「娘さんの夢の中に入って、そこで直接彼女を起こします」私は治療について説明を始めた。
「そんなことができるんですか?」
「彼女は今、外界のどんな刺激にも反応しません。例えば、鼓膜は振動したとしても、それが脳で信号として受け入れられないのです。そこで、脳に直接電気刺激を与えるんです。この治療を受けた患者さんは、夢の中で起こされたような気がする、と言います」
 細かな説明を続け、両親たちはその一々に頷きながら聞いていた。ひとしきりの説明が済むと、どうやら少し安心したらしく、だいぶ表情が柔らかくなった。
「娘をお願いします」そう言って二人は帰って行った。
「なんだか失礼な話よね」私は同僚に言った。
「何が?」
「私じゃ信用できなくて、あなたなら信用するのよ、みんな」
「そんなことないさ」と彼は笑った。「君が若くて美しい女性だから、みんな面食らうだけさ」
「馬鹿にしてる?」
「いや、本心さ」
「とにかく、私が彼女を目覚めさせれば、あの二人も私を認めるんでしょう」
 彼は悲しそうな顔をした。私は驚いた。彼がそんな表情をする理由がわからなかった。
「どうしたの?」
「目覚めなきゃならないのは、君なんだよ」彼は目を伏せていたが、意を決したのか、顔を上げ、私の目を真っ直ぐに見てそう言った。
「何を言ってるの?」私は眉間に皺を寄せた。
「眠っているのは君なんだ。眠って、眠り続けているのは。目を覚まさなければならないのは君だ」
「冗談はやめてよ」自分の声にこもった怒気に自分で驚いた。「こうして起きて、あなたと話してるじゃない」
 彼は首を横に振った。「君は眠っている。眠り続けている。目覚めるのは君だ」
「何言ってるの!起きてるじゃない!」私は声をあらげた。
「これは夢なんだよ。僕は君を目覚めさせるために送り込まれた」
「やめて!」
「これは夢だ。君は医者でも何でもない。君に医療の知識があるか?無いだろう。さっきあの二人に説明したのが君の全てだ。君はあれしか知らない。反論できるかい?」
 私は耳をふさぎ、うずくまった。「やめてよ!これは現実よ!」
「夢だ」彼は冷たく言い放った。「夢だ」
「もしこれが夢だったら」私は言った。「目覚めた後の、現実の私は何者?そこにあなたはいるの?」
 彼は肩をすくめた。「僕はこの夢の中のことしか知らない。僕は君の夢の登場人物だからね。現実については何も知らないんだ」
「ずっとここにいちゃ駄目なの?」
 彼は困った顔をした。彼がよくする表情。彼との思い出が次から次へと頭をよぎった。全て私の夢が作り上げた思い出。本当には無かった出来事。
「現実って、何なのかしら?」
「わからない」
「それでも?」
「さあ、目覚めよう」

No.327

兼藤伊太郎のnoteで掲載しているショートショートを集めた電子書籍があります。
1話から100話まで

101話から200話まで

201話から300話まで

noteに掲載したものしか収録されていません。順番も完全に掲載順です。
よろしければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?