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食糧難の時代

 ついに人類が築き上げてきた文明が行き詰まりを迎えたのだった。産めよ増やせよの精神で増殖してきた人類にとって、実はもっとも重要な技術革新は食糧の生産力の飛躍的な進歩に他ならなかった。品種改良に遺伝子操作、新しい農薬の発明、大規模農業を可能にする大型機械、腹が減っては戦はできぬ。人類を支えてきたのは食に他ならず、それが足りなくなれば全ては破綻をきたしてしまうのだ。
 そして、ついに食糧難の時代が訪れたのだ。誰もがそれを予期してしたし、それに対して対策を練っていたはずだが、老いも若きも男も女も、富めるものも貧しいものも、皆がみんな空腹を抱えている時代が訪れたのだ。あるのは程度差だけである。死ぬほど空腹か、空腹で死ぬか。多くの餓死者が出た。しかし、彼らの口が減ってもなお食糧は不足していた。人々は絶望していた。そんなある日である。
 全人類に向けて御触れが出された。
「突然ですが、試験を受けていただきます」
「試験?なんの?」
「試験をは試験です」
「みんな?」
「はい、全人類に受けていただきます。年齢や文化的な差が結果に影響を及ぼさぬように補正された試験です」
「受けて、どうなるの?」
「結果によっては」と御触れを持ってきた人は言った。「ある場所へ言っていただくことになります」
「どんな場所?」
「わたしも詳しくは知りませんが、そこでは腹一杯ご飯が食べられるそうです」
 そういうわけで、全人類が血眼になってその試験を受けた。結果は非公表である。ある場所へ行ける人間にだけ、その通知が送られてきた。
「やった、腹一杯食べられる!試験はちんぷんかんぷんだったけど、きっとまぐれか何かでいい成績だったんだろう」
 ある場所、では、触れ込み通りたらふく食べられた。肉汁の滴るステーキ、甘い甘いケーキ、どれも贅沢なものばかりで、久しくその味が忘れられていたものばかりである。その場所へ集められた人々は毎日毎日腹一杯食べ、働かされるわけでもなくゴロゴロ遊ばせてもらい、とても幸福な日々を送っていた。しかし、完全に自由というわけではなかった。運動をすることは固く禁じられていたのだ。集められた人々は丸々と太っていった。
「間抜けなやつらだ」と、それを監視していた男は相棒の男に言った。「自分たちがなぜここに集められたのか考えないのだろうか?」
 相棒の男は鼻で笑った。「それを考えるくらいの頭があるのなら、ここにはいまい」
「確かに」と男は座っていた椅子の背もたれによりかかった。
「心が痛むかね?」相棒の男は尋ねた。
「いや」と男は答えた。しかし、しばらく考えてこう言った。「そう、多少痛むね」
「やつらの知能を知っているだろ?やつらは基準を満たさなかった。だから、憐れむ必要なんてないのさ」
「牛や豚のように?」
「そう、牛や豚のように」
「イルカは?」
 相棒の男は顔をしかめた。「イルカは賢い。試験をパスするイルカなら、食べるわけにはいかない」
 こんな会話には全く気付かず、集められた人々は幸福な日々を送っていた。


No.571


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