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他人の空似

 妻に浮気現場を目撃され、あわやというところで逃げおおせ、その後は知らぬ存ぜぬ、人違いだ、他人の空似だの一点張りでどうにかやり過ごした。我ながら無茶苦茶な言い訳だったと思うが、どうやら妻は納得したらしい。
「言われてみると、確かにあなたじゃなかったかもしれない」ホッと胸を撫で下ろした。
 翌日には大事な会議があった。重役がづらりとならぶような種類のものだ。遅刻や失敗は許されない。まさか、遅刻や失敗をするとでも?的確な意見、流れるようなプレゼンテーション、感嘆の声、拍手の嵐、完璧だ。
「いやぁ、素晴らしいプレゼンテーションだった」上司に誉められた。
「ありがとうございます」
 充実感一杯で帰宅すると上司から電話が、さては早速昇進か?ところが電話に出てみると上司は凄まじい剣幕で怒っている。
「今日の会議の重要さはわかっていただろう!なぜ来なかった?事情があるならちゃんと連絡をしろ!」
 一体なんのことかがわからない。人違いではないかと確認したが、そんなはずがあるかと怒鳴られた。いや、間違いなく今日の会議に出席したと主張するが聞いてもらえない。
「お前に似た奴が来て、素晴らしいプレゼンテーションをしたがね」
「それが私です」
「いや、あれはお前じゃない」
 上司はその一点張り、どうしてもちゃんと会議に出席したことを認めてくれない。仕方がないから折れて謝罪することにした。
「すいませんでした」
 上司はくれぐれも、二度とこんなことのないようにとなおもグチグチと注意した上で電話を切った。わけがわからない。どこにぶつけたらいいのかわからないフラストレーションだけが残った。
 翌日、出社するのは気が重い。上司の方を窺うが別段怒った風は無い。ひょっとして、昨日のあれは悪い冗談だったのだろうか。と、そんなことを考えといると、妻から電話がかかってきた。
「昨日はどこへ行っていたの?」
「何を言っているんだ?ちゃんと家に帰ったじゃないか?仕事中なんだ、切るぞ」
「昨日はあなたに似た人が来て泊まっていったけど、あの人は誰なの?」と妻。
「それが俺だ!」
「あなたによく似た人だったけど、あなたじゃなかったわ」
 妻はちっとも信じようとしないので諦めて電話を切った。頭を抱えたくなる。一体どうなっているのだろう。自分がやったことがことごとく他人がやったことになっている。
 その後もそんなことが続いた。何をしても誰か、自分によく似た人間がやったことになってしまう。こうなると、何もしたくなくなってくる。いくらサボっても何も言われないから気が楽だ。いっそのこと、悪事でも働いてみようか。そうしたところで、それは他人の仕業になってしまって張り合いがないかもしれないな。もう死んでしまおうか?誰かが死んでも誰も泣かないなら、それはそれでいいかもしれない。


No.318

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