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Rollin’Rollin'

 まず驚いたのは生まれ変わりなどというものが本当にあったことだ。俺は死んだ。間違いなく死んだ。凄惨な死に方だったと言っていいだろう。自分がベッドの上で多くの人間に惜しまれながら死ぬなどということは想像したことも無かった。それだけのことをしてきたからだ。誰かを出し抜くようなことは日常茶飯事、騙し、脅し、時には暴力に訴え、手に入れたいものを手に入れた。なぜそれを手に入れたかったかと言えば、それを手に入れれば他の連中よりも抜きん出られると思ったからだろう。俺は勝者になることを望んだ。そして、それには手段を選ばなかった。その末路が、凄惨な死だったとしても。
 そんな俺が生まれ変わった。死ぬ直前、俺は輪廻転生などというものが無いことを祈った。生命活動の終了、失われる意識、無。そういうものを、俺は望んだ。科学的で合理的だ。俺はそういうものを信じたかった。しかしながら、俺の中にはびこるのは輪廻転生のような無知蒙昧どもの思想だった。俺は生まれ変わり、虫けらにでもなるようなことを恐れた。俺の徳とは無縁の人生では、そういう姿がお似合いだろう。そんなのはごめんだった。
 ところが、生まれ変わってみると、俺は子鹿になっていた。俺の意識は母親の鹿から産み落とされた瞬間に始まった。羊水に濡れた体に、森を渡る風が冷たかった。足に力を込めるとすぐに立ち上がれた。立ち上がれはしたが、足は心もとなかった。バランスをとるのに必死だった。俺は、鹿だった。
 鹿としての生はそれほど悪いものではなかった。母親の乳を飲み、仲間たちと駆け回る。森の中は穏やかで、平和そのものだった。小鳥が枝の上で鳴いていた。
 しかし、そんな平穏は簡単に破られた。
 ある夜のことだ。なにかの気配を感じたのだろう、首を上げ、辺りを見回した。空気が緊迫していくのが感じられた。物音、母親が立ち上がる。走れ、走れ。
 狼だ。狼の群れに襲われたのだ。子鹿の俺は怯えていた。あっという間に母親とはぐれ、はぐれたのに気づいた瞬間に首元に噛みつかれ、地面にねじ伏せられた。息を吸うが、喉で漏れていくのがわかった。どうやら俺は死ぬようだ。子鹿である俺の死。牙や爪は痛みをもたらしたが、死が確定するとそれも感じなくなった。俺は死に、食われた。
 なにかの存在を感じた。狼でも、鹿でもないなにかだ。
「お前は誰だ?」俺は尋ねた。
「誰かだって?」と、それは言った。「お前はそういうくだらないことを気にしすぎる。それはどうでもいいことだ。ただ、あるもの。ただあるものだ」
「俺は死ぬんだな」
「もう死んだ」
「食われちまった」
「そうだな」
「次はもっと強いものがいい」
 それは鼻で笑った。
「なぜ笑う?」
「お前はなぜそうも強いだとか弱いだとか、優れているとか劣っているとか、そういうどうでもいいことにこだわるんだ?」
「強ければ自由に生きられる」
「馬鹿馬鹿しい。お前は生を良いものとし、死を悪とする。そこからして、根本的に間違っているのだ。そのふたつのどちらにも価値はない。そもそも価値などというものはどこかの誰かが勝手にこさえたものに過ぎない。優れたものが生き残り、劣ったものは敗れ、滅びるとでも思っているのだろう? バカげた考えだ。生も死も、ただグルグル回るだけだ。それだけだ」
「俺の死んで食われたことにも意味があるのか?」
「なにもわかっていないな。意味などない。ただ、グルグルと回るだけだ。それだけだ」


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