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なぜ?

 息を止めているその間だけ、わたしは心安らかにしていられる。その間は、何も考えずにいられるからだ。息を止める。息を止める。息を止める。しかし、そうして少しすると、わたしは我慢できなくなってまた息を始める。それまで止めていた分も一気に取り戻そうとするみたいに、荒々しい息を。
 すると「なぜ?なぜ?なぜ?」わたしの頭の中に、木霊のような問い掛けが頭をもたげる。なぜ?なぜ?なぜ?
 頭を埋め尽くすこの問いに、どうせなら、もう二度と息をしなければ良かったと、わたしは後悔する。そして、また息を止める。その間は平穏だ。息を止める。息を止める。息を止める。でも、それは束の間。わたしの身体は空気を求めている。わたしは、その事実が憎い。
「あの子はもう二度と息をすることはないのに」と、わたしは思う。「なぜわたしはのうのうと息をしているのだろうか」
 なぜ?なぜ?なぜ?
「なぜ、あの子は死ななければならなかったの?」わたしは夫に尋ねる。
「わからない」と、夫は答える。頭を抱え、首を横に振りながら。「わからない、わからないよ。けど」
「けど?」
「もう、考えるのはよそう」と、夫は言う。「もう、やめよう」
「なぜ?」と、わたしは尋ねる。
 なぜ?なぜ?なぜ?
 わたしは考えるのをやめない。やめられない。なぜ?なぜ?なぜ?疲れると、時折息を止める。息を止める。息を止める。息を止める。息が切れる。わたしは息をする。荒い息。わたしは生きている。生きているのだ。そして、その事実はあの子が死んだことを教える。わたしは生きていて、あの子は死んだ。
 なぜ?なぜ?なぜ?
「なぜ、考えるのをやめようなんて言うの?」と、わたしは夫に尋ねた。
「考えたところで、どうにもならないじゃないか」と、夫は言う。「理由がわかったところで、ぼくらに何ができたって言うの?」
「なにもできなかったって言うの?」
「なにができた?」
 なにもできなかったかもしれない。なにかできたかもしれない。わからない。なぜ?なぜ?なぜ?
「それに」と、夫は呟くように言う。「なにかができたことがわかったとしても、悲しいだけじゃないか」
「なぜ?」
「だってもう」と言ったきり、夫は黙り込んだ。その続きは言われなくてもわかる。
 だってもう、あの子は死んでしまったのだから。
 それでもわたしの中から「なぜ?」という疑問は消え去らない。わたしは些細な兆しからそれを読み取ろうとする。交差点の信号の点滅の仕方、自動販売機の横のゴミ箱から出たペットボトル、雑踏の話声、背丈の小さなキリンの見つかったこと、路地裏で猫が唸っていたこと。どれもなんの関係のないことだとわかっていても、それを目にし、耳にした瞬間、ハッとする。「ああ、このせいだ。これのせいで、あの子は死んだんだ」けれど、それも束の間。そんなものはなんの関係も無いことにすぐ気づく。気づいている。掴もうとしているのが藁だっていうことには、いつだって気づいている。それでも、なにかを掴まずにはいられないだけだ。
 なぜ?なぜ?なぜ?
 息を止める。息を止める。息を止める。
「あなたは」と、夫に問いかける。「忘れられるの?」
「なにを?」
「あの子が」と、わたしは恐る恐る言う。「死んでしまったことを」
 夫はどこでもないどこか一点を見つめ、しばらくそのままでいた。わたしは待った。夫が答えるのを。なぜ?なぜ?なぜ?息を止める。息を止める。息を止める。なぜ?なぜ?なぜ?
「わすれない」と、夫は呟いた。「忘れられるはずなんて、ないじゃないか」
 わたしの中にはもう「なぜ?」が湧いてこなかった。それが答えだった。わたしは、忘れてしまうのが怖かったのだ。忘れてしまえるかもしれない自分が怖かった。あの子の死んだことを。いや、あの子が生きたことを。忘れないために問い続けていたけれど、忘れられなんてできない。忘れられるはずがない。
 わたしは胸いっぱいに息を吸い込み、そして泣いた。


No.417


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