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交戦中

 妻とぼくは目下交戦中である。と言っても、それは熱い戦いではない。口喧嘩をしたり、まして手が出るようなこともない。皿やコップが飛び交うこともなければ、ましてや包丁を突きつけられたりもしない。逆に、お互いを無視し合い、一言も口を利かず、まるで相手が存在しない存在であるように振る舞う、そんな冷たい戦いでもない。ぼくたち夫婦を第三者が見たら、それはそれは仲睦まじい夫婦という印象を持つに違いない。別に外ヅラだけがいいわけでもない。人前に出る時だけ取り繕っているわけではない。ぼくらの生活をこっそり覗き見たとしても、その印象は変わらないだろう。普段の生活から、ぼくたちはお互いを思いやっているように見えるはずだ。しかしながら、それこそがまさにぼくたちの戦いなのだ。
 昨日の妻の攻撃は朝のゴミ出しだった。その日とゴミ出しの当番はぼくだったのだが、ぼくはそのことをうっかり忘れていたのだ。ぼくがそれに気付いたのは昼過ぎである。ぼくはゴミの袋が出されていないで、家にあることを祈りながら帰宅した。しかし、残念ながらそれは無かったのだ。妻によって出されたのだ。ぼくは大きなダメージを負った。妻がゴミ出しを忘れたぼくを責めたわけではない。
「ちょっと、なんでゴミ出しておいてくれないの!」そういうのは無い。
 もしそういう攻撃ならば、ぼくはそれなりの反論をし、それなりの痛手を妻に与えることもできただろう。弁が立つとまではいかないまでも、ぼくはそれなりに口は達者な方だ。
 妻は何も言わなかった。
「ゴミ、出しておいてあげたから」みたいな恩着せがましいのも無い。
 妻は「そういった失敗は誰にでもあることだから仕方がない」、という雰囲気を効果的に醸し出していた。別にそれを口にはしない。雰囲気を醸し出すだけだ。それが効果的であることを妻は知っているのだ。妻がそうした態度に出たことにより、ぼくは精神的な負債を負ったのだった。借りを作ったくらいなら生易しい。借りを作らせてもらえないということが恐ろしいのだ。借りなら返せばいいのだから。
 もちろん、妻は内心してやったりとほくそ笑んでいるのだろう。しかし、そんなことはおくびにも見せはしない。そんなことをしたら全ては台無しである。精神的に優位に立ちつつ、それが何でもないように振る舞うことが、ぼくたちにとっての最大の攻撃なのだ。
 食器を洗う。洗濯をする。掃除をする。ゴミを出す。家事の一つ一つが攻撃のチャンスだ。いかにそれを相手よりも早く気付き、何気なく終えるのか。
「ああ、食器ならもうぼくが洗っておいたよ」とぼくが言う。本当は妻が洗う番だった。ぼくは内心ほくそ笑んでいる。
「あ、ありがとう」と妻は微笑む。その微笑みの裏で、きっと歯噛みをしていることだろう。
 これがぼくらの戦いである。
 ぼくは周囲の人たちに妻のことを「本当に気が利くし、いつも助かっているんだ」と誉める。
 妻は妻で「うちの夫は気が利いてとても助かってるの」と言っている。一見仲の良い夫婦のようだが、水面下ではこうした激戦が行われているのだ。
 疲れないかって?それは疲れるさ。ぼくは疲れ果てた。もうこんなことは今日で終わりにしよう。日々の生活の些細なことで、お互いに精神的な負債を負わせ合うなんて馬鹿げている。ぼくたちはもっと気楽にやるべきなんだ。だって、ぼくたちは夫婦なのだもの。幸せになるためにふたりでいるのだもの。
 ぼくがそう言うと妻はこう言った。
「あなたはそうやって、自分が寛大だってのをわたしに見せ付けて、わたしに精神的な負債を負わせようとしてるんでしょ?」
 妻はなんでもお見通しだし、ぼくは妻のそんなところが好きなのだ。

No.306

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