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邪悪な魔法使いの存在を知るものはいない

 あるところに邪悪な魔法使いがいた。非常に邪悪な魔法使いだ。邪悪な魔法使いは邪悪な魔法で好き放題していた。子どものポケットにこっそりダンゴムシを入れたり、ちょうど足の小指をぶつける位置に家具を動かしたり、遅刻しそうな時に限って五分くらい時計を遅らせていたりした。こんなものはかわいいもので、車椅子利用者用の駐車スペースに平気な顔で車を停めたり、電車の優先席に寝転んだり、深夜のコンビニの前にたむろしたりした。こんなのもかわいいもので、気に食わない奴がいれば魔法でゴキブリに変えて踏み潰したり、場合によっては跡形もなく、それは人々の記憶からさえ、消し去ってしまうこともあった。邪悪な魔法使いはとにかく邪悪だった。
 人々はそんな邪悪な魔法使いの言いなりだった。もし邪悪な魔法使いの逆鱗にでも触れようものなら、たちまちこの世から消されてしまうだろう。人々の記憶からさえ、きれいさっぱりと。それがたとえ大統領であろうと、皇帝であろうと、国王であろうと、社長でも、サラリーマンでも、学生でも、老人でも、若者でも、女でも、男でも、子どもでも、どんな人間でも、反論や拒否はもちろん、言い淀むことすら邪悪な魔法使いは許さなかった。邪悪な魔法使いの要求はすべてすぐに呑まれるべきものだった。
 そんな邪悪な魔法使いが、ある日、ある女に恋をした。邪悪な魔法使いは女を幸せにしてやりたいと思った。邪悪な魔法使いであるにも関わらず。しかし、恋とはそういうものに違いない。邪悪さと恋心は関係無いのだ。たぶん。そして、恋をすれば当然、その相手の幸せを望むだろう。
 ところが、邪悪な魔法使いは邪悪な魔法使いであるので、邪悪な魔法しか知らなかった。人を消したり、ダンゴムシをポケットに忍び込ませたり。邪悪な魔法では女を幸せにすることができなかった。あるいは、女の気に食わない相手をきれいさっぱりと消してしまえば、女が喜ぶということもあり得るかもしれないが、あいにくというか女は邪悪な魔法使いとは対照的に善良だったので、おそらく誰かが目の前できれいさっぱりと消されても喜ばなかっただろう。
 あるいは、人々を脅し、この世のすべての富を女に持たせようか。それは実際邪悪な魔法使いであれば可能だろう。それで女は喜ぶかもしれないし、喜ばないかもしれない。それはわからない。しかしながら、それで女が幸せにはならないのは確かだろう。邪悪な魔法使いはそう考えた。もしかしたら幸せになるかもしれない。しかし、それは邪悪な魔法使いによるものではなく、富によるものだ。富によって幸せになった女を、邪悪な魔法使いは喜べるだろうか。
 あるいは、女にこう命ずるか。
「俺を愛せ」
 それで愛されて、邪悪な魔法使いは喜べるだろうか。それは果たして邪悪な魔法使いが求めているものでだろうか?
 邪悪な魔法使いは絶望した。そして、どうせ幸せにできないのなら、女を消してしまうことにした。女がいなくなれば、絶望も癒されるだろうと思って。女は跡形もなく消えた。それは人々の記憶からも消され、女がいたことを覚えている者はいなくなった。もちろん、邪悪な魔法使いも例外ではない。
 一件落着。
 とはいかなかった。
 女が消えたことで、邪悪な魔法使いはその胸の内に空虚を抱えることになった。本来なら女が占めている場所が、女が消えたことによって空いてしまったのだ。
 邪悪な魔法使いはその空虚に苦しめられた。まさに胸にぽっかり穴の空いた状態である。邪悪な魔法使いは魔法で空虚を消そうとしたが、空虚はそもそも無なわけで、無いものを消すことはできず、空虚は邪悪な魔法使いの胸に留まり続けた。
耐えきれなくなった邪悪な魔法使いは自らを消し去った。それは人々の記憶からも。だから、邪悪な魔法使いのこの話を知るものは存在しない。

No.370

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