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真っ白な死の感触

 まだ幼い頃、叔父の部屋に忍び込むのが好きだった。まだ叔父が結婚する前、さらに前でまだ学生の頃、叔父が祖父母と同居していた頃の話だ。ぼくの家から祖父母の家までは歩いて数分の距離で、ぼくは頻繁に出入りしていた。母には内緒で祖父母がくれるおやつが目当てだ。
 その家の、二階に叔父の部屋はあった。叔父は外出していることが多く、一度だって見咎められたことはない。もし忍び込んでいるのが見付かっても、叔父は優しい性格の人だったから、きっと怒ったりはしなかっただろうし、忍び込んだりせずに、部屋に入れてくれと頼めば快く許してくれただろう。それでも、叔父の部屋にはいつもコッソリ忍び込んでいた。そうすることが礼儀のような気がしたのだ。
 叔父は獣医を目指す学生だった。母の話だと、叔父は小さい頃から動物が好きだったらしい。捨て犬や捨て猫を頻繁に拾って帰って来て、小鳥はいるわ、亀はいるわ、家はまるで動物園だったそうだ。獣医を志したのも、やはりこの動物好きからだ。ぼくへの誕生日やクリスマスなんかのプレゼントも、叔父はいつも何かの図鑑、動物や魚や恐竜の図鑑で、おのずとぼくも動物が好きになった。しかし、これは別の話だ。今はよそう。
 叔父の部屋は、いつも冷たい空気で満たされているようだった。夏であってもひんやりとしていた。なんだか、深い森の中のようなにおいがした。レコードプレーヤーがあり、大きなスピーカーがその横に据えられていた。名前も聞いたことのないミュージシャンたちのレコード、ぼくにはレコードプレーヤーの使い方がわからなかったから、それらを聴くことはなかった。
 本棚には動物の病気に関する本や解剖学に関する本が並んでいた。一度その中の一冊を開いてみたが、難しい言葉が並んでいて、月並みかもしれないが、ちょっと読んだだけで目眩がした。本棚の一角には漫画の単行本が入っていた。ぼくがその頃読んでいたような、悪が善に懲らしめられるような単純な話ではなく、複雑な人間心理や、人情の描かれたものだった。いまでこそ、そういった複雑さが理解できるが、その頃のぼくには到底理解のできないもので、一体何が面白いのか首をかしげ、これは大人になればわかるのかもしれないと自分を納得させていた。
 これらの、大人の世界を垣間見させてくれる物に囲まれているのも確かに好きだった。そこは幼いぼくにとって、自分の住む世界とはまったく違った、別世界だったのだ。しかし、ばくが叔父の部屋に魅せられた理由は、叔父の戸棚にしまってあったものが一番だ。
 軽く軋む戸を開けると、そこには無数の骨格標本が並んでいた。だいたいは頭蓋骨のそれだったが、小動物の場合全身のものもあった。それらは静まり返っていた。ほんの少しの音を立てる気配もない。それはそうだ。それらはみな、死んでしまっているものなのだから。かつては生きていたとしても。
 透き通るように白いそれらを、ぼくは飽くことなく眺め続けた。時にはそっと手に取ってみることもした。そして、その純粋無垢なものを、指先で撫でた。かつて額だったところを触り、牙であったところの感触を確かめる。はたして生きていた時、それはどんなだったのか、思いを馳せる。今では真っ白で清潔なそれ。
「真っ白な死」と呟いて、戸を閉めるのが、自分の中での決まりだった。やけに大人びた台詞だが、たぶん背伸びでもしたかったのだろう、その言葉の意味など考えてもいなかったし、今でもその意味するところが何なのか、正確にはわかっていないように思う。
 しばらくすると、叔父は学校を卒業して部屋を出て行った。その時に部屋にあったものはあらかた処分してしまったようだ。骨格標本がどうなったかはわからない。もしかしたら、学校にでも寄付したのだろうか。もしその時、ねだっていればもらえたかもしれないが、それはなぜかできなかった。そうしなくて良かったようにも思う。
 指先には、まだ真っ白な死の感触が残っている。


No.427


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